築地が豊洲に移る意味~三つの島と三つの道路~
「点と点を結んで面になる、情報と情報が組み合わさって知識となる」とは恩師が繰り返し言い続けていたことです。いま振り返ると、今まで筆者は築地のこと、あるいは豊洲のことを「点」という形でしか認識していなかったように思われます。
しかし先日、築地から豊洲までを実際に歩いてみたことにより築地や豊洲という「一つの地点」ではなく「東京の湾岸地帯」というものについて深く認識することができるようになりました。
また築地の関係者の方々のご厚意により様々な場所を見せていただいたという経験も生きております。その節は本当にありがとうございました。
その上で筆者が得た結論は、やはり中央卸売市場は豊洲に移転すべきだということです。
築地移転問題の地理関係について
都民でない人間にとって、築地や豊洲という地名は聞いたことはあるものの、どこにあって位置関係がどのようなのか、なかなか把握しづらいところかと思います。
そこでまずは大まかな位置関係の説明をします。
単純化して言えば、築地のある「都心」の対岸に国際展示場で有名な「有明」があり、その間に「勝どき(月島)」「晴海」「豊洲」の三つの人工島が並んでいる。そういうふうに捉えてもらって問題ありません。
まずはそれぞれの地区の特色を把握してみましょう。
都心部
まずはこの問題の東端にある「都心」です。便宜上都心と表現しましたが、「銀座」を中心とした一大経済圏と考えてください。この日本の中心部とも言うべき場所にはたくさんの飲食店が並んでおります。中には有名な「すきやばし次郎」のような高級店、あるいは小さな個人経営の店まで様々な店が軒を連ねているわけです。
こうした様々な店の食を支えていたのが「築地」です。「築地」抜きには「銀座」の発展は語れない、と言っても言い過ぎではないはずです。
ここが今回のポイントになる部分で「中央卸売市場には、街を発展させるパワーがある」という点をぜひ覚えておいてください。
勝どき
築地市場の脇にある「勝どき橋」を渡るとそこから「勝どき」という地域に入ります。ちょっと面倒なのですがこの「勝どき」地区の上に「月島」地区があります。
さらに次に紹介する「晴海」を含めたこのあたり一体は、かつてはすべて「月島」と呼ばれていました。そこで誤解を避けるため、ここではあえて「勝どき」という地名でこの地区を総称します。
このエリアの特徴は「晴海」や「豊洲」に比べて建築物同士の密度が高いことです。
このエリアは北から順に「佃」「月島」「勝どき」「豊海町」という町名が付いています。「佃」は高級タワーマンション街のさきがけとしても有名ですが、まだ下町の風情も残っている地区です。佃煮の由来ともなった地域と言えばイメージは掴めるでしょう。
その「佃」の南にあるのがもんじゃ焼きで有名な「月島」で、こちらも「佃」同様、昔ながらの風情のある街のなかに巨大なタワーマンションが立っているという光景が広がっています。ただこちらの方が若干下町の風情が濃い印象です。
そして「月島」の南にあるのが「勝どき」ですが、ここは都営大江戸線の開通に伴い「勝どき駅」ができたことにより人気が高まった地区です。大通りに面した区画では、たくさんのタワーマンションや大型マンションが立ち並んでいます。
最後に「豊海町」ですが、この区画は東京湾に張り出しているため、冷蔵倉庫などが数多く立ち並ぶ倉庫街になっています。
この「勝どき」は、ほとんどの地区が住宅地となっていることからも分かる通り、一通り開発の区切りがついていて生活感があるという印象です。
晴海
「勝どき」地区から朝潮運河を挟んだ向かいの島が「晴海」地区です。
この場所にはかつて東京国際見本市会場がありました。東京モーターショーやコミックマーケットの会場として記憶されている方もおられるのではないでしょうか。
「東京国際見本市会場」が閉鎖し有明の「国際展示場」へと移った後、この地区は晴海アイランドトリトンスクエアを中心とした再開発が進められました。
晴海の北側は、学校や公園なのど文教あるいは文化施設が多く存在しています。一方で南側はほぼ手付かずの状態で空き地が広がっており、2020年東京オリンピックの選手村として利用されることが決まっています。オリンピックが終わった後は、選手村の設備を再利用して、住宅街として整備される予定です。
晴海地区は、今まさに再開発の真っ只中にあります。
豊洲
そして晴海地区の対岸が豊洲です。
豊洲新市場の話題ですっかり有名になってしまいましたが、豊洲地区は全体として斧のような形をしており、豊洲新市場はその持ち手の部分に存在します。豊洲新市場はあくまで豊洲の一部分でしかありません。
斧の刃の部分は新興住宅街としてすでに整備されています。「ららぽーと豊洲」があることでも有名で、住みたい街ランキングの常連地区となっています。
有明
そして都心の対岸にあるのが「有明」です。国際展示場に行った経験が在る方なら分かるでしょうが、全体としてはまだ開発のさなかという感じの場所です。次のオリンピックではこの「有明」に「有明アリーナ」が建設されることが決まっています。これと同様に有明の北側はスポーツとイベントの地として活用されるようです。
ちなみにフジテレビで有名なお台場はこの有明の南隣にありレインボーブリッジへと通じる道もあります。
都民ではない身からすると「銀座」から「有明」まで一直線で移動できるということは想像がつかなかったのではないでしょうか。実はそのあいだの距離は5km弱。歩いても大人の足で一時間弱でしかありません。
「築地」と「豊洲」に至っては直線距離で2.3キロメートルしかありません。移転するといっても極端に離れた場所へ移動するわけではないのです。
湾岸部の再開発の流れ
それではなぜ中央卸売市場は「豊洲」へと移転しなければならないのでしょうか。
そもそもこの地域は隅田川の河口にあたり、川の流れが運んできた土砂が堆積しやすい場所でした。そのため、江戸時代から川底を浚っては埋立地を作るという工事が延々と続けられてきています。
築地という地名も「地を築く」という由来からなっており、埋立地であることを意味しています。また「勝どき」「晴海」は明治時代に「東京湾澪浚(みおさらい)計画」によって作られた土地です。地名も、もともと「築島」と書いていたのがいつの間にか「月島」と変わったものです。
このように東京の歴史は湾を埋め立て、陸地を延長し発展してきた歴史なのです。この地域が現代になって再開発されようとしているのも歴史的には自然な流れです。
筆者が実際にこの地域を歩いてみた全体の感想なのですが、やはり都心に近いほうが人口も多く開発が進んでいる印象でした。それゆえ開発の流れは、北から南へ、そして西から東へ、人の居る方から居ない方へと進んでいます。
豊洲に中央卸売市場を置く意味
先程「銀座」と「築地」の関係性を紹介しましたが、中央卸売市場には街を発展させるパワーがあります。卸売市場があれば多くの人々が集まり、関連施設が建ち並びます。その証明が銀座の飲食店であり、より直接的には築地外市場ということになるでしょう。その賑わいは多くの人が知るところです。
しかし築地市場のある都心部は十分に発展し、一方で、市場の設備が拡張する余地があないほど手狭になってしまいました。
一方で湾岸部の再開発は未だ発展途上です。
そこで湾岸部に中央卸売市場を移動させれば、現代の食品流通に必要な機能を持った市場を作ることが出来るのと同時に人を集める大きな磁力となる。そういう考えに至るのは自然なことでしょう。
豊洲新市場の場所を見るとこれからの湾岸再開発のほぼ中心部にあり、大きな磁石となってくれることが十分に期待できます。
さらに豊洲ならではの大きな利点として、舟運に大きな可能性があることです。三方を水辺に囲まれた豊洲は船をつけるのにちょうどよい場所にあります。
元々、豊洲はガス工場の跡地です。そのガスの原料である石炭は船で運ばれていました。それだけ舟運の実績のある土地なのです。デメリットばかり語られがちですが、ガス工場があったということにも利点はあるのです。
なぜ舟運の可能性があることがそれほど重要なのでしょうか。
現代の東京では、都心部への荷物を運ぶのに、渋滞する道路を通るよりも運河を利用するほうがずっと早い可能性があるためです。
特に東京が江戸だったころは水運が非常に発展していたという事実があり、首都高の多くはかつての運河の上に建てられているほどです。つまり東京には舟運のための水路がすでに存在するのです。これを利用しない手はありません。流行りの言葉で言えばレガシーの活用というわけです。
豊洲を取り巻く三つの道路
豊洲問題についてツイッター上で多くのコメントをしている建築家の片山恵仁先生は築地が都心に与える交通の負担について説明しています。
それによると築地には一日一万九千台もの車両が出入りし、都心の渋滞の一因を作っていました。豊洲への移転は、搬入搬出にかかるコストが削減できると同時に、都心の渋滞も緩和させることもできる施策でもあるのです。
また現在建設中の環状2号線もこうした都心の渋滞緩和策の一環なのですが、道路の一部が移転後の築地を貫く計画のため、築地が移転してくれないと道路を通せない状況です。
この環状2号線には5分おきにバスが運行される「BRT(バス・ラピッド・トランジット)」の運用が予定されており、これにより自動車だけでなく、ゆりかもめや大江戸線などの通勤電車の混雑解消に役立つことが期待できます。
しかし築地移転が延期されてしまったことにより、環状2号線の工事も延期となり、オリンピックまでに完成できないことがほぼ確定してしまいました。この点からも、築地の移転は待ったなしの状況であると言えます。
さらに豊洲に中央卸売市場を置く利点には、首都高の出入口が近くにあるという点も挙げられます。有明には首都高湾岸線が通っており、その出入口は豊洲新市場の真横にあります。これにより日本各地から商品を載せてきたトラックは都心を通らずに市場へと商品を搬入することが可能になりました。
築地移転は東京都心部の交通事情の改善政策でもあるのです。
なぜ豊洲でなければ駄目なのか
築地移転問題では、豊洲が東京ガスの跡地であったことから、土壌汚染について深刻な懸念が寄せられ続けました。
一方で、なぜ豊洲でなければ駄目だったのかは「他に候補地がなかった」などと消極的な理由が語られることがほとんどでした。
しかし、じっくりと地理を観察してみると、豊洲への中央卸売市場の移転は都市計画の中の一環であり、重要な施策であったことが分かります。特に渋滞の解消に大きく寄与することは疑いようがありません。
さらになぜ豊洲でなければ駄目だったのかを突き詰めれば「中央卸売市場の持つパワーを湾岸再開発に生かすため」という戦略的な目的のためだということが分かります。築地を再整備してもこの効果は得られません。東京が発展していく上では、豊洲という土地に中央卸売市場があることは極めて重要なのです。だからこそ800億円もかけて土地を徹底的に浄化し市場を建設する意味があるのです。
その上で筆者が申し上げたいのは、東京、そして日本の発展にとって、現代的な衛生環境、流通を可能にする市場がこれから発展する土地にあるということは極めて重要なのだといういうことです。
科学除染によって豊洲は、おそらく東京湾岸部でもっとも清浄な土地となりました。都市計画に沿った交通動線が確立できることにより流通もようやく近代化します。ここに近代的な中央卸売市場があり、街の発展に寄与することが分かれば、この都市計画の流れは日本全国に波及していくでしょう。
十年後、二十年後を考えれば築地よりも豊洲のほうがずっと大きな可能性があるのです。
これが筆者が豊洲移転に賛成する理由です。
<参考文献>
築地市場は仲卸のものではない~公設市場である意義~
お母さんのための社会問題講座~築地移転の歴史的経緯について~
本ブログでは今まで主に豊洲新市場の科学除染について取り上げていました。さしあたって、大まかな科学除染については説明できたのではないかと思われます。
残るは地下水管理システムについての説明ですが、こちらはまだ本稼働を始めたばかりですので、これは後回しにしたいと思います。
移転するかどうかのポイント
最近では、豊洲新市場の建築上の機能評価に対しては、ある程度、関係者の同意がえられてきています。また土壌汚染についても移転延期が無条件で決定されるような大規模な汚染はまず見つからないだろうと予想されます。
そこで今後は豊洲に移転するか、築地を再整備するかという二者択一が迫られてくると思うのですが、その参考として築地の再整備の歴史ついて確認をしてみます。
続きを読むお母さんのための社会問題講座~盛り土は何のためにあるの?~
前回の内容からずいぶん間が空いてしまいました。あの後、いろいろと立て続けに報道が行われていたため、しばらく様子を見てから再開しようと思っておりました。
お母さんのための社会問題講座~豊洲の土壌汚染は本当に処理されているの?~ 前編
お母さんのための社会問題講座~豊洲の土壌汚染は本当に処理されているの?~ 後編
先日、かがやけTkyo都政報告会 にて生田よしかつさんが仰っていた豊洲の風評被害を何とかしたいというお言葉に触れ、微力ながら協力したいと思い、また報道もだいぶ収まってきたため再開の運びとなりました。
今回は豊洲市場で一番の混乱を引き起こした盛り土問題について、そもそも、盛り土は何のための存在なのだろうかというところについて解説していきます。
そもそも盛り土は汚染物質の蓋なのか?
そもそもの盛り土の目的
最初に知っておかなくてはならないことがあります。豊洲の土地が東京ガスから東京都へ売却された時点で、土壌の表面から50cmまでの部分は処理がしてあったのです。
第一回 専門家会議 資料4 東京ガスが実施した土壌汚染対策 (1.4MB)
さらにこの専門家会議が始まったときはすでに一部の地区では盛り土がなされていました。
すでに区画整理事業が行われていた
土壌汚染に対する調査が始まったとき、すでに豊洲では土地区画整理事業による盛り土がなされておりました。つまり当初は、汚染と盛り土とは直接関係が無かったのです。
かつて東京都の技術職員であった大貫剛さんは以下のようにコメントをしております。
じゃあなんで、豊洲は土を盛ってるのか。土壌汚染の問題が発覚する前から土を盛る計画だったんです。その理由は、以前の豊洲の用途は工業地であり港湾なので、船に合わせて低い埋め立て地だったのを、市街化するので高潮や津波を考慮して嵩上げすることにしたから。
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2016年9月10日
豊洲の盛り土は「工業用地のため船舶用の低い埋め立て地だったのを市街地化のため高潮や津波を考慮してかさ上げする」ためのものだったのです。
豊洲の土壌利用計画の変遷
このような状態から、専門家会議、技術会議で汚染対策が話し合われ工事が行わました。そして建物が出来上がった状態で確認してみると建物の地下に盛り土が無く、謎の空間ができていました。これがそもそもの騒動の発端です。
ここでは騒動そのものはいったん置いておいて、豊洲の土地はどう利用される予定だったのかを時系列順に把握してみましょう。
東京ガス跡地だった頃
まず東京ガスから東京都へ用地が引き渡された段階では、豊洲の土壌は表面から50cmは処理された土であり、その下は汚染されたままの状態でした。また詳細は後で述べますが、このころは東京都が買収したのちよりも土地の高さが低い状態でした。
専門家会議の当初案
その後、汚染土が問題となり専門家会議が招集され対策が話し合われました。
専門家会議の汚染土壌対策は会議の途中で変化していくのですが、当初の予定としては地下の汚染土壌には手を付けず、上に盛り土をかぶせ、その上にアスファルト等を敷くことで汚染物質を封じ込める予定でした。
つまり「蓋の意味で盛り土をした」のではなく「元から予定していた盛り土に蓋の役割も期待した」という方が正しいのです。さらに言えば、最初から汚染土壌と盛り土の間に砕石層を設置して地下水が上がってこないように管理しようとしていましたので、蓋としての役割も副次的な要素に過ぎなかったのです。
技術会議の想定案
その後専門家会議が進んでいくうちに地下深くに存在する汚染物質も除去する方針が定まりました。
この決定を受けて具体的な工法を決めていったのが技術会議です。
実はこの技術会議の最中に豊洲の土地全体に盛り土をせず、一部分は空間として残しておく方針が定まっていました。技術会議の資料にもそれが描いてあったのですが、技術会議の長谷川氏は地下空間の認識はなかったという旨の発言しておりますのでそれに従って考えます。
技術会議は専門家会議の方針に従って、地下の「汚染土壌」を浄化する具体的な工法を取りまとめ実施しました。工法については前回までの更新でご紹介した内容となります。
これが予想以上にうまくいき、豊洲の地下は環境基準以下の地下水へと浄化することに成功しました。
この時点で、盛り土に蓋としての役割はなくなり、本来のかさ上げのみが期待される目的に戻ったのです。なお、技術会議は盛り土は豊洲の土地全体に行うという認識だったようです。
現在の豊洲の土壌概況
ところが、建物を建ててから例の「謎の空間」が発見されました。これは現在のところ「メンテナンス空間」という名称で呼ばれております。
なぜこの「メンテナンス空間」が問題になっていたかというと、東京都は知事や都議会に対して「豊洲は土地全面を盛り土で覆っている」という風に説明していたからです。
ところが、第三者の指摘によって「謎の空間」があるという騒動が起き、それを小池知事が「盛り土があるという説明だった。空間のことは聞いていない」と問題視したことで大騒ぎとなったのです。
とはいえ技術会議によって地下の汚染は取り除かれています。建物が建つのでかさ上げの必要もありません。したがって理屈の上では盛り土が無くても問題ないのです。
まとめ
そもそも豊洲のような大型の建物には地下にメンテナンスのための空間は絶対に必要ですし、盛り土の上に建物の建てることは耐震性に著しい悪影響があります。盛り土は無い方が良いのです。
また市場問題プロジェクトチームの佐藤氏によってこの「メンテナンス空間」には様々なメリットがあることも指摘されました。
市場問題プロジェクトチームの佐藤尚巳氏の発言に感動したので主旨を図解してみました
たとえ地下に汚染物質が残っていて地下水の上昇とともにその汚染物質が上ってきたとしても、地下水管理システムやこの「メンテナンス空間」によって二重、三重にも対策が施されています。
したがって「盛り土」問題は安全性の問題ではなかったということは知っておくべき事実だと思います。
では問題は?
東京都内部での情報共有がまずかったのは事実ですが、それは盛り土の有無とは関係のない事情でしょう。
むしろ地下水管理システムが安定して動くかどうかの方が重要ですが、これは大型の設備ですので調整に時間がかかります。今は見守るしかありません。またうまく動かなくとも対策を取ることは十分に可能です。
また当初と設計計画が変わったのは事実ですし、今現在、移転が中断している間に安全性の再点検することは「安心と安全」両方の面からもぜひやるべき課題だと思われます。
ただし工事計画そのものはきちんと手順を踏んで行われているわけですし、移転が不可能になるほどの重大な過失があるということはまず考えられません。
過度な心配をせずに推移を見守っていくことが重要なのではないでしょうか。
本日も良い知見を得られたことを感謝いたします。
「子ども食堂」はやるべきではない。~慈善事業でも経営です~
いきなりですがすいません。
今回の記事タイトルは意図的に意地悪な感じにしました。
子ども食堂をやりたいという人の善意は素晴らしいと思います。
現在、そのために活動なさっている方はご不快になった方もおられるかもしれませんが、よろしければ記事をお読みいただけますと筆者の意図もくみ取っていただけると思います。
どうぞよろしくお願いします。
はじめに
Twitterのタイムラインで何度も流れてきた「子ども食堂を失敗させる方法」という記事がありました。
こちらの記事は徳島に住む森哲平さんという方が、徳島市東新町の商店街で約4か月ほど「子ども食堂」を開き、このままでは継続が難しいと閉鎖することを決定した経緯が書かれています。
今回はこの森さんの貴重な失敗談を図解し、併せて私の考察も語っていきたいと思います。いつもよりも考察が多めなのは、私も似たような”失敗”をしたことがあるからです。要約だけ先に書いてしまうと、「食堂」というイメージに固執すると素人ではまず失敗に終わってしまうからやり方を工夫しようね、というお話です。
続きを読むおときた都議は山田太郎戦術を継承できるのか~問題は受け皿となるメディアの不足~
今回は3記事一気の更新となります。お付き合いいただきありがとうございます。
おときた都議は山田太郎陣営のネット戦略を活用できるのか。
ここからがやっと本題となりますが、その前にちょっとだけ寄り道。
今回はおときた都議をテーマにしていますが、この山田太郎流Twitter戦略は、たとえば政治家の方や、ネットサービス、企業などツイッターを利用したあらゆるマーケティングにもつながる話だと思います。
おときた都議と山田太郎氏の政治家属性の違い
おときた都議は「おときた駿ネット応援団」を作成しました。現在ある説明を見る限り、これは山田太郎陣営のネット戦略をそのまま流用したような形式のようです。
ですが、おときた都議と山田太郎氏には政治家として属性が異なっています。この違いはネット戦略に影響を及ぼすことはないのでしょうか。
まずはここから検討してみたいと思います。
山田太郎氏はシングルイシュー、おときた都議は?
山田太郎氏の政策は基本的には「表現の自由」を守るという一点に特化しています。他にも政策はいろいろあり、中にはスギ花粉に対する政策など有権者の声から生まれたものもいくつかあるのですが、基本的にはシングルイシューです。
対しておときた都議はどうでしょうか?
おときた都議はシングルイシューではありません。これは政治家としては当たり前のことで、むしろ山田太郎氏が特異なのです。
とはいえシングルイシューには「ある属性に対して非常に訴求力が強い」という特徴があると思われます。
山田太郎氏がシングルイシューで政党を結党した背景に、「表現の自由を守ることは支持するが政党の他の政策が嫌い」という支持者がいたことが挙げられるそうですが、ヲタク層には「表現の自由をエサに利用されているのではないか」という意識があるような気がします。(少なくとも私が目にした限りではそういう意見が多かった)
ヲタク層は一般的には浮動票と呼ばれる支持団体が定まっていない人々の集まりだと思われます。こういった政治の素人に対してはシングルイシューであることはかなり有効に働きそうなのです。
さらに文字制限の厳しいTwitterなら、なおさらシングルイシューであることは有効に働いたとも考えられます。
おときた都議のイシューが何かは知名度ほど知られていないと思う。
ところでおときた都議のイシュー(政策)とは何でしょうか?
私の感想ですが、これあまり認知されていないと思うのです。おときた都議を詳しく調べれば色々と出てくるのですが、例えばWikipediaにはこれしかありません。
Wikipediaのページがきちんと編集がなされていないという事情もありそうですが、やはり多くの人にきちんと伝わっていないからこのような状態なのではないかとも考えられます。
それよりも、舛添前知事への追及とか、給与の明細を全て公開しているとか、昨今のテレビ出演とか「メディアを使って派手に暴れまわっている」というイメージの方がはるかに強い。「都のシルバーパス政策に反対しているおときた都議」という風にはなかなか紹介されないのです。この一面だけ見れば扇動政治家と呼ばれるのも無理はない。
政策とは、ある面では特定の分野に対する利益供与です。
それは経済的な利益とは限りません。山田太郎氏の場合「表現の自由を守る」という明確な政策があり、オタクにとっては彼を応援するメリットが十分にあった。
翻っておときた都議を応援することには、支持者にとってどんなメリットがあるのでしょうか。あるいはメリットがあると思わせられるのでしょうか。
たとえばおときた都議の特徴ともいえる情報公開も利益供与の一つの形ではあります。それを理由に彼を応援する人も実際に居ます。
しかし情報公開だけでは物足りないような気がするのです。情報公開とは、理想論を言えば「公開されて当たり前」のことです。情報公開というイシューでは、おときた都議と接点のない人々から広く支持を集めるには弱いのではないかと思います。
そしておときた都議はあくまでも東京都議会議員
またおときた都議は東京都の議員であり、山田太郎氏のように国会議員になるわけではありません。首相を目指すと宣言しているので、いつかは国政に打って出るつもりなのでしょうが、それはそう近い未来のことではなさそうです。
坂井氏もインタビューの中で「このやり方が全国比例以外で通用するかどうかはわかりませんけど」と断っています。山田氏の戦略は比例区だから通用したという側面は確かにあると思われます。
山田氏を国会議員にすれば「表現の自由」が守られるという直接的なメリットが支持者にあった。しかし東京都都議では、彼を積極的に応援しても、多くのネット民に特に見返りはありません。
これら政治家としての属性の違いを考慮して戦略を練らないと、山田太郎氏の戦略を流用してもうまく活用できないのではないでしょうか。
Twitter戦略とリアル戦略
おときた都議のリアルでの土台は十分だろうか?
山田太郎氏のTwitter戦略は実に洗練され、また効果があることも山田太郎氏の得票数を見れば一目瞭然です。ですので、おときた都議がネット対策としてこの戦略を踏襲するのは理解できます。
問題はこのネット活動に対応するリアルでの活動です。
山田氏の場合は三年間にわたるコミケでの演説があります。またネットの生放送を毎週行い、そこで支持者との議論を重ねてきました。
おときた都議がリアルでの活動をおろそかにしているということは絶対にありません。
ただ現状では、「双方向性コミュニケーションを定期的に図れる場所」というものが見当たらないような気がするのです。これではおときた都議と支持者の間の「政策の循環」が作れず、Twitter戦略も十分に効果を発揮できないのではないでしょうか。
ブログは大きな財産だが…
「政策の循環」を行う土台として、政治家側がネットでの評判を引き受けるプラットフォームは何を選ぶべきでしょうか。
おときた都議はブロガー議員として有名です。十年以上続けているというブログは彼の大きな財産であり、リアルでの大事な土台と言えると思います。
ただこのブログは一方向の情報提供の場であり、双方向性コミュニケーションを図る場所ではないと思われます。
言うなれば山田太郎氏のコミケでの演説のようなものではないでしょうか。
Twitterはどうだろう?
双方向性コミュニケーションの場所として、音喜多氏の場合Twitterでの会話もあります。しかしそこまで活発ではありませんし、実績を蓄積する場所としては適切かどうかは疑問が残ります。Twitterで過去の発言をさかのぼるのは大変です。
第一ツイッターはネット戦略の要であり、リツイートを狙う意味では狙いすましたコメントを厳選して投稿する場所です。リアルでの土台は別に用意するべきです。
ネット番組は現実的だが…
おときた都議は生放送も時々行っているのですが、定期的ではありません。これはおときた都議が精力的に活動しているからこそなのですが、定期的でなければ双方向性コミュニケーションの場としては機能しがたいと思われます。
おときた都議がどのようなメディアでネットでの評価をフィードバックさせるかは、今後の課題と言えそうです。
政治家を育てるという体験が共有できる時代
なぜこれほどまで私が双方向性コミュニケーションを重視するかといえば、「自分の意見で政治家が変わる」という体験を提供できるからです。
山田太郎氏も生放送で鍛えられたと坂井氏は言っています。先ほど挙げたスギ花粉に対する政策などはその一つです。
たとえば、政治家が演説で自分が問題提起したキーワードを使ってくれれば支持者は嬉しいはずです。提起した支持者は積極的に政治家を応援しますし、誤解があれば自分から訂正もしてくれるでしょう。
「精鋭部隊になってください」などと言わなくても、自ずから精鋭化していくでしょう。
「政治家は育てるもの」という言葉があります。
かつて、これは政治家に近しい一部の人間にしかできない活動でした。しかし、距離の制約のなくなったネット時代ではそれが誰にでもできるようになったのではないでしょうか。
「おときた駿応援団」は今のままでは情報の押しつけになる
山田太郎氏のブレーンの坂井氏は「ネットでの情報の押しつけは嫌われる」と言いました。
「おときた駿応援団」で一番問題だと感じているのは、戦略に対するフォローが足りず、どうにもこの「情報の押しつけ」じみた活動に見えてしまうことです。
特に【上級編】はきちんと説明して活動しないと言論狩りのような印象すら受けます。
今は都議会で忙しくて詳細な説明をしていられないのでしょうが、これを放置しておくと不幸な誤解を招く可能性すらあります。
そもそも、この戦略の本家である山田太郎氏は、シングルイシューであり、明確にヲタク層をターゲットに狙い、彼らの関心の高い「表現の自由」についての活動でしたから、詳細な指示を出さなくても支持者は積極的に動けたのだと思います。
しかしおときた都議は違います。
おときた都議は政治家である限り今後もいろいろなイシューを抱えていくでしょうし、それが支持者にとって最初から興味のある問題であるとは限りません。
ですから「おときた駿応援団」の活動内容については、いずれ詳細な解説が必要になってくるのではないでしょうか。
ファンによる活動が危険だと思う理由
「おときた駿応援団」の内情はまったく把握しておりませんが、おときた都議本人のファンでないと応援団に入りづらい状態ではないでしょうか。
そしてファンと言うのはありがたい反面、危険な存在でもあります。
ファンがネガティブな情報をポジティブに変換させようと思えば、究極的には「おときた都議は良い人だから信じてください」と言うしかない。そこには議論がない。これが「情報の押しつけ」でなければ何と呼ぶのでしょう。
おときた都議の政策(例えばシルバーパス、舟運、LGBTの里親支援など)を分かりやすく提示し、そこに是々非々の議論が発生しないと政策に対する支持者が生まれません。
このままでは「精鋭部隊」は単なる「言葉狩り部隊」になってしまうことを私は危惧いたします。
まとめ
おときた都議がネット上で選挙戦略をするうえで、もっとも重要になってくるのは支持者との「政策の循環」ではないかと思います。
現状、おときた都議が発信する情報は不足するどころか多すぎるほどで、むしろ情報の厳選に力を割くべきかもしれません。
さらにはネットでの評価の受け皿となるメディアをいかに構築し、有権者との双方向性コミュニケーションをどう図っていくかが今後の課題となるのではないでしょうか。
私からの雑多な提案
以降はおときた都議に対する私の勝手な提案です。
基本的に無関係の第三者の意見は無責任なものです。さらに私は政治活動について何ら知見があるわけでもありません。ここまでの長文に免じて、単なるアイデアを書かせていただくことをお許しください。
まずは毎週の番組
たぶん、最初から一番厳しい提案だと思います。
おときた都議は不定期ながらニコニコ生放送で番組を行っています。おそらく多忙ゆえになかなか時間が取れないのでしょうが、やはりネットでの双方向性コミュニケーションならば生放送は外せないと思われます。
できれば生放送、そうでなくても録画でもよいので、有権者との政策コミュニケーションの場が必要ではないでしょうか。たとえば、山本一郎氏との「真夜中のニャーゴ」での対談などはとても面白かったし、ためになりました。
ブログに分かりやすい政策のつぶやきボタン
山田太郎氏も行っていましたがやはり画像を引用リツイートする戦略は非常に有効だと思われます。(以下は画像なのでRTはできません)
このような形で政策をリツイートできればとても良いと思われます。
実は調査不足ですでにやっていたら、ほんとごめんなさい。
「おときた駿応援団」の改名
政治家の支援者団体に「応援団」と名をつけるのは割とよくある名称だとは思います。
しかし応援団と言うとどうしてもファンの集まりのように感じられ、おときた都議と政策についてコミュニケーションできる場所という感じがしません。
リアルでの団体ならこれで良いかなとは思うのですが、ネット上の不特定多数を相手にする団体の名称としては堅い表現かなとも思います。
ネット上に支持者団体を作ること、それはとても良いことだと思います。
ですが、それは「応援する」だけでなく「積極的に関われる」ものであってほしい。
私はおときた都議の「物事を是々非々で挑む」というスタイルにはとても賛同しております。またおときた都議に関しても支持者が何かを考えているかについて理解できる場所がネット上にあることはメリットのように思われます。
おときた都議は活動中の政治家ですから、ある政策に対して意見を言いたくないときもあるでしょうし議論に参加するのが難しいときもあると思います。
ですが、少なくとも支援者のコメントはすべて目を通しているよ、という信頼関係があれば「本来、主義主張は異なるけども、自分の意見を聞いてもらいたい」という人でも参加しやすくなるとおもうのです。
支持者の間での議論の中で出たアイデアをおときた都議がワンフレーズだけでも取り上げてくれれば、議論に参加した人は自ずと「精鋭部隊」となるはずです。
私ならこんな名前を付ける
そこで「おときた駿応援団」という名前を改め、都議が使っているキャッチフレーズをもじり、
「おときた駿をアップデートする会」
という名称はいかがでしょうかと愚考する次第です。
これなら今はおときた都議と政策観が違う人でも入りやすく、かつ積極的な発言を促せます。むろんTwitter戦略はきちんと伝えて協力してもらうことが入会条件となります。
言葉の力というのは案外馬鹿になりません。
おときた都議の政策がアップデートされ続けていくのはとても良いですし、都議から国会議員へのアップデートが目標ならば、今のうちから応援しておくのも悪くないかと思う人も出るのではないかと思います。
以上、長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。
本日もよい知見が得られました。
※どうでもいい余談
ちなみに支持団体名称の次点は「おときた団」でした。