えっ、公園の保育園転用はエゴじゃないの!? 図解で分かる杉並区の保育園転用問題で反対派が無視された理由(1)
この記事は連載記事となります。
その問題を知ったのは七夕の日のニュースでした。
私は独身で子供もなく、したがって待機児童問題とはあまり縁のない生活を送ってきました。大変だとは知っていましたがあまり詳しく知る機会はありませんでした。
しかしこのニュースを見て「待機児童の問題に、自治体の首長が直接インタビューに応じている」というインパクトにまず驚き、内容を読んで一気に興味を抱きました。
このインタビュー記事をお書きになったのは、メディアコンサルタントの境治氏。肩書の通り、本業はテレビ業界を中心としたメディアの専門家なのだそうですが、偶然ブログに書いた「赤ちゃんにきびしい国で、赤ちゃんが増えるはずがない。」という記事に12万もの「いいね!」が付いたことをきっかけに保育問題について取材をはじめられ、最近では保育園反対運動を詳しく扱っておられます。
本題に入る前に、なぜ私がこの問題を取り上げようと思ったのかについて述べておきます。
結論から言ってしまうと「全体像が見えにくかったから」です。
私の専門は図解です。図解とは「余計なものを省き、全体像を分かりやすく示す」ことで物事を把握するのがその本質です。このように複雑な事情を分かりやすく表現することにはうってつけの技術なのです。
それゆえ私にとってこの保育園問題は実に取り組み甲斐のあるテーマだったのです。
まずは境氏の取材活動について紹介します
境氏が保育園の反対運動を取材しているのは先述の通りですが、この問題に限って言えば「杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。」
から始まり、私がこの問題を知った「杉並区の保育園問題。田中区長の話を聞いて、地方自治と民主主義の難しさを感じた(上記リンク)」を経て、現在も連載記事のように断続的な取材を続けておられます。
とにかく先入観と異なる内容だった
まず「杉並区の保育園問題。公園転用への反対は住民のエゴではない。」からして、一般の保育園反対運動とは性質が違うのだという主張に驚かされます。
詳しくは実際にお読みになっていただくのが一番ですが、私なりに要約すると「久我山東原公園には、都市生活では失われがちな地域のコミュニティの受け皿として役割があり、公園を保育園に転用されるとそれが失われてしまう」という主張です。確かにエゴとは言えないかもしれないなという気持ちにさせられます。境氏の記事は反対派の住民の声を代弁したものと見ていいでしょう。
続いてフローレンスの駒崎氏
ところで、ここで「待った」をかけた人物がいます。
実際に小規模認可保育園の運営をしている認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏です。
最初に断っておくと、この記事に限って言えば、駒崎氏の文章は(主に境氏の記事の「来年4月の期限を緩めるだけで」という部分に対し)やや煽り気味でして、その点を割り引いて読んでいただきたいのですが、記事の内容自体はとても素晴らしいものです。
実際に保育園を運営している立場から、保育園を建てないと、待機児童とその母親の人生が台無しになってしまうというのだということを力説されており、この問題がいかに切実で早急に解決しなければならないかがよく伝わってきます。
その立場からすれば、反対運動などもってのほかなのでしょう。駒崎氏は「反対運動に対して賛成運動を起こそう」という主張をしており、テレビでも同じ内容を主張されたようです。駒崎氏は待機児童に困っている親の代弁者です。
最後に田中区長
そして、最初に私が見た区長へのインタビュー記事につながっていきます。
田中区長によって、「杉並区は待機児童問題に全力で取り組んでいること」そして「民主的な手続きはすでに完了していること」を取り上げ、ご自身がこの問題に対して一歩も退かない決意であることも明かしています。
特に民主的手続きの部分については、並区議会が計画を承認し、住民が出した公園転用反対の陳情が議会で正式に不採択となった経緯を説明し、住民の反対運動には道理がないことを主張されています。厳しいけれどもこれはわが国が民主国家である以上、正しい意見だと言わざるを得ません。これが行政の理論です。
図解とは全体像を見せること
このように、私が取り上げたお三方の意見はそれぞれの立場からの正論です。
しかし現実には行政と住民は対立したままです。さらに、公園の改装工事はすでに始まっており、公園の転用はもはや不可避です。行政と反対派はなぜ歩み寄ることができなかったのでしょうか。
私が気になったのは、反対派の意見が分かりづらいということでした。もっとはっきり言えば「エゴではないなら何なのか?」という部分が反対運動から見えにくいのです。行政が反対派の意見を重視しなかったのも、一つにはこの部分が明確ではなかったからではないでしょうか。
私の知る限り、反対派の意見は常に公園転用の完全拒否でした。確かに公園転用に対する代案は出しましたが、それは行政の事情を理解していたとは言い難い内容でした。
むろん、行政の対応がまずかったのは改めて指摘すべきですが、その後の反対派の対応も感情的なものでお世辞にも良い交渉とは言えないものでした。
待機児童の親には世論が付き、行政の理論は民主主義の原則という後ろ盾があります。何より待機児童問題の解決は急務でした。その中で公園転用に反対する理由がエゴではないとしたら何なのか?
曖昧な根拠しか持たない反対派が劣勢になっていったのも当然だと思います。
私はこの問題の解決には以下の二つが必要ではないかと考えます。
1、反対派住民が何を守りたいのかを分かりやすく示す。
2、行政、住民がお互いの視点を理解する。
反対派が世論や行政に「自分たちは他とは違うんだ」と主張するなら、誰にでも理解できる根拠が必要です。
この根拠が示せていないからこそ、行政側は「住民から奪ったものの本質は何なのか」が見えず、とってつけた対策で間に合わせてしまったような気がします。
また住民側も譲れない部分と譲歩しても良い部分を判断できないため、行政との交渉が上手くいかなかった、そう考えられないでしょうか?
次回に続きます。