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時事図解

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公園転用は止められないが、実は反対派はすでに勝っているという話

時事図解

保育園建設反対運動では負けたが、住民は実は勝っている

前回までの連載では、最終的には公園転用の反対派に厳しい意見になってしまいました。

ですが、私は杉並区の今回のやり方には「理解はできるが、賛同はできない」という立場でおりますし、反対運動そのものは当然のことだと思っています。

しかし時間が無かったことと、作戦が十分でなかったため、結果として反対派の悪い点が目立ってしまったような気がします。

 

特に3回目の説明会ですが、行政側が話し合いに応じないと分かった時点でボイコットすれば良かったのではと思っております。説明会をボイコットされた行政が、どんな顔で「住民側の理解を得られた」と主張するのでしょうか。

 

反対派にきちんと作戦を立てられるだけの組織力があり、行政と真摯に交渉できるならば、実は住民は実質的には勝利しているのではないかというのが私の個人的な意見です。今回からの記事は誰かの意見の解説ではないということをあらかじめ断っておきます。

 

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そもそも、最初を思い出してください。

住民の皆さんが保育園建設反対をしたのはエゴからではありませんでした。

素晴らしい公園施設を失いたくないというのも理由の一つでしたでしょうが、究極的には、公園の上で育んできたコミュニティを守るための運動だったはずです。

 

ほとんど投げやりな代替地が用意されて住民が怒りを感じるのも、その代替地では「ゆるやかなコミュニティ」を守ることができないからです。

仮にたとえどんなに広く立派な代替地が用意されたとしても、そこでコミュニティを継続していくことができなければ住民にとっては意味がないのです。

ここを行政は理解していません。

 

公園施設それ自体は、やはり区の所有物ですから、どう使うかの最終的な決定権は区にあります。これは動かしようがありません。しかし、その上にできていた「ゆるやかなコミュニティ」は、形は無いものの住民が築き上げてきた大切な資産です。これを破壊してしまった責任を行政は取らなくてはいけないはずです。

まずは行政に訴えるべきだったのは「公園転用への反対」ではなくこの「コミュニティの存続への保障」だったのではないでしょうか。

(ただし、行政は都市公園法の運用に大きな失敗をしています。これは次回以降の記事で解説します)

反対運動は無駄ではなかった

住民の皆さんが、節度を守り、行政の強引な手腕に対してきちんと反対意見を主張したことにより、この問題は全国規模の知名度を得ました。

もしここで住民の側から行政に歩み寄り、公益のために住民が負担を受け入れるという形を取れば、これは大きなニュースとなって日本中に広まります。

杉並区全体の好感度アップにもつながり、区長をはじめとした行政側は、計画を無事に実施できるとともに大きく面目を果たすことができるのです。

これは俗な言葉になりますが「行政に恩を売る」ということです。

 

また、反対運動をきっかけに境氏が取材に動いたことにより、区長本人から「40%に保育園を建てて、残りをどう使うかという前向きな話ならウェルカムです。公園をこう変えたいという話でも私そのための予算も頑張りますよ」という言質を引き出してくれました。公的な立場の人間の発言はそう簡単に反故にはできません。

 

もしもここで「保育園建設反対」ではなく「コミュニティ存続」を主張するならば、保育園と公園が一体化した新しいコミュニティを形成するため、行政は住民に全面的に協力をしなくてはなりません。

「保育園建設」が行政の責任であるのと同様に「コミュニティ存続」も行政の責任だからです。そのための予算だって区長は約束してくれています。

 

そもそも住民は保育園建設そのものには反対していません。

いきなり公園を取り上げられたことが反対運動のポイントなのであって、仮に久我山東原公園が転用以前の敷地と設備を持ち、さらに保育園が隣接していたとしても別に問題はないはずです。(向井公園への言及が少なくて申し訳ありませんが、やはり同様に保育園と公園が両方ともにあっても特に問題はないはずです)

 

住民が公園の設計を含めた議論に直接参加できることは、そう多くはありません。

もちろん建設される保育園の運営にも住民側の意思もたくさん反映させることができるでしょう。保育園の園庭を必要に応じて一般に開放でしてもらえるようにするよう交渉できるはずです。

強引だった行政側に住民の側があえて大人の対応をしてみせることで、行政に対して優位性を得られるという絶好の機会になるのです。

 

少し想像してみてください。

大きな広場に囲まれた保育園があり、小さな子供たちが楽しく一日を過ごし、そこに地域の住民が集うというのはそれほど久我山東原という場所にそぐわない光景でしょうか?

境氏の記事の中には反対運動をしていた女性が、保育園の園庭の花壇の手入れをすることができると知って態度を軟化させて話がありました。

久我山でもガーデニングが趣味の方が保育園の園庭に植える草花を決めたり、保育園の壁に貼られる朝顔やひまわりを模した掲示物を地域の手芸愛好家の方が手伝ったりすることも可能かもしれません。

今まで公園では餅つき大会を行ったりお神輿を置いたりしていたそうですが、その場所が保育園の園庭に変われば、保育園の子供たちはその光景に目を輝かせて興味を持つはずです。

これらは住民のコミュニティにとってマイナスなのでしょうか?

 

待機児童を持つ親とその子供を守る保育園が真ん中にあり、その周りに住民の意思で守り、育てていく公園がある。私にはとても素晴らしいことのように思われます。

 

なにより、久我山東原に通う子供というのは本来、反対派の方が守ろうとしたコミュニティの一員のはずです。保育園の建設は久我山の子供たちの未来への贈り物、そう前向きにとらえることはできないでしょうか。

土地は時代とともに変化する

そもそも久我山東原公園は、最初は民間の農地でした。

それが住民の願いを受け、地主さんから区に譲渡され、20年かけてみんなに愛される場所へと変化していったのです。

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今回、公園の転用計画によって公園とコミュニティは分断されてしまいました。

しかし、せっかく20年かけて育ててきた場所とコミュニティをこのまま物分れにしたままで良いのでしょうか。

公園を奪われた憎しみを未来へ残すことが本当に正しいことなのでしょうか。

 

実は、私はこの記事を書くにあたり、久我山東原公園に取材に行きました。すでに工事は始まっており、公園の半分は閉鎖されていましたが、それでも小さな子供を連れた父親が母親が次々と集まり、楽しそうに水遊びをしているのを見ました。

また、地元のサッカーチームのユニフォームを着た小学生らしい男の子たちが、カミキリムシを見つけて大騒ぎをしているのも目撃しました。

このようなコミュニティは何としても守るべきだと思います。 

 

確かに行政のやり方は一方的でした。しかしそこですべてを拒絶し、反対運動を続けて憎しみを残すよりも、お互いに協力し、再び愛されるコミュニティを作った方が良いのではないでしょうか。

 

住民の力で20年かけ、農地は愛される公園に変わりました。

その力を使って次の20年でその公園が保育園付きの未来型の公園に変化しても良いのではないでしょうか。

 

私の言うことはしょせん部外者の理想論かもしれません。ただ、お互いの事情をよく知れば歩み寄れることは可能ではないかと思い、今回、記事を書かせていただきました。

 

よろしければ、皆様のご意見をお聞かせください。

 

ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。これをお読みになったすべての方にとって、この問題を考える一助となればこれに勝る喜びはありません。

 

なお、次回は「杉並区の都市公園法の運用不備を突いて、もう一度交渉テーブルを引き出すための一考察」です。

 

まだ続きます。