時事図解

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「しょぼい起業で生きていく」は、看板に偽りありなのかもしれない。

お久しぶりです。生きてます。

1年以上、ブログをほったらかしにしました。

 

なぜかというと、仕事の方でだいぶプレシャーをかけられて文章を書く気も起きなかったからです。私が今、何をしているのかというとebayというところで日本のオークションにあるものを転売しています。

 

「図解士さんなぜそんなことを」と思う方もいるでしょうが、もともと私がネットで活動していた時期は、お仕事のお付き合いのあるオーナーさん(ほぼ個人事業主)の商売を手伝っていたときだったのです。

といっても私は特に経営に参画していたわけではなく、ただ言われたことを淡々とやって「○○をしたいんだけど、エクセルでちょっとデータを作って」とかそういう作業をしていただけです。

 

事業は一年ほど継続していたのですが、オーナーさんが経営にどんどん興味を失っていったため、私の負担が軽くなりその合間でネットの活動ができていたというわけです。

 

ところが、ついにその事業がとん挫して(ある意味、当然)次に何をやろうかということになり、そこで、たままた私が昔やっていた事業でebayのアカウントを持っていたことが話題になったんですね。そして「じゃあebayをやろうか」となったんです。

 

先程話した通り、私は経営に参画しているつもりがなかったので、言われたとおりに作業をしていました。なにかアイデアを出すと「余計なことをするな」なんても言われてましたしね。

 

今回の事業はオーナー曰く「事業に資金を使いたくない。ホリエモンも言っている。在庫を持たないビジネスが最高だ」という話の流れから、「ならば在庫を持たずに転売すればいいじゃない」という結論になり、在庫を持たずに転売をすることになったのです。こういう商売の手法の良し悪しは読者の判断にゆだねます。

 

とはいえ、素人がいきなりそんな器用なことをやってもなかなか成果も出ません。

 

そうなるとオーナーさんはどんどん不機嫌になっていき、「ブラック企業並みに働け」「犯罪を犯してでもいいから金を稼げ」とか言ってくるようになってきました。あるいは思い付きで「〇〇を売ってみろ」という命令が下り、現状の作業を回すのだっていっぱいいっぱいなのにそちらに注力しなくてはならないときもしょっちゅうでした。ちなみにオーナーは言うだけ言って何も仕事はしていません。いろいろと事業を調査して考えている、みたいです。

 

最後には、「お前は俺にとってはサービス提供者だ。それなのに、払った金に見合わないサービスしかしないのはなぜだ。いくらお前に金を使ったと思ってる。なんでもいいから成果を出せ」みたいなことを言われて、「あれ、私っていつの間に経営側に回ったんだろ」と思いつつ、与えられるプレッシャーと責任感で忙殺され、いつしかネットもおろそかになったわけです。まあ、「お金をもらっている以上、やれることはやらないと」とは思うわけでして、にっちもさっちもいかなくなっていったわけです。

 

「しょぼい」という言葉に惹かれました。

なんでそんなところで働いているんだという話はまた今度にして、そんな風に心を殺して生きている毎日にふと飛び込んできたのがえらいてんちょうという人へのインタビュー記事でした。

 

https://book.asahi.com/article/12104260


それほど長い記事ではないので、興味がある人は読んでいただければと思うのですが、このえらいてんちょうは、「しょぼい起業で生きていく」という本を書いてブレイクし、今ちょっとした時の人になっている人です。

 

「しょぼい」という言葉がえらく気に入って、本日、著作を読ませていただきました。

 

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

 

 

このえらいてんちょうは、慶応大学を卒業しているのにも関わらず、「朝早く起きられない」という理由で、就職せずに起業した人です。私はADHDでして、朝早く起きられないとか、満員電車に乗って通勤できないという「普通の人と同じことができない」という気持ちはとても共感出来ます。

 

さらにえらいてんちょうは、実は学生時代に一度休学し、リサイクルショップを立ち上げ成功させていました。私も一度心を病んで大学を休学しているので、ますます共感が持てます。

その後、リサイクルショップのお客さんから学習塾の経営を譲り受けたり、遊びのために居抜き気物件のバーを借りたら、面白い企画を立ち上げて成功したりと、なんやかんやで成功を収めていく様子は、物語としてとても面白いし、示唆にも富んでいると思います。

 

そこらへんの「(自称)しょぼい」サクセスストーリーはぜひ著書をお読みいただくとして、私が思ったことは「全然しょぼくないじゃないか。看板に偽りありだ」という事でした。

えらてんさん、「看板に偽りあり」ですよ。

えらいてんちょうのやっていることは、いわば商売の王道のようなもので「徒手空拳の人間が商売で成功するにはどうすればいいか」ということが如実に分かる内容です。だから彼はぜんぜん「しょぼく」ありません。

それに彼の方法で誰もが成功できるわけではないことは彼自身が認めています。相当に運も絡みます。えらいてんちょうはかなり運がいい。やはり「しょぼく」ありません。

 

彼の成功は、東京という土地だからこそ個人リサイクルショップでうまく行った可能性が高いですし、学習塾を譲り受けられたのも完全に運です。そしてバーの経営も、東京以外の土地で、ニッチな人々を集めるのは難しいでしょう。

また彼自身もすごい。「店に住めば(生活のために)家賃が要らない」などと普通の人には真似できないことをやっています。

だから彼の表面を真似しても、簡単には成功しないだろうなと思います。そういう意味ではこの本はぜんぜん参考にならない。

 

この本の本質はこの2点だと思う。

ですが、それでも彼の言うことで成功のための本質をついているなと思うことが2つあります。それは――

 

「居心地の良いスペースを作る」

「信用を生み出す」

 

です。

 

・居心地の良いスペースを作る

えらいてんちょうは、店を毎日開けてお客がいつでもやってこれるようにしろと言います。そしてやってきた暇人にお茶を出すなどして「居心地の良い空間を作れ」と言っています。人が集まってくると、すると店にも活気があふれ、皆が手伝いを申し出てくれるようになる、のだそうです。本の中ではお客さんが自発的に掃除をしてくれたり店番までしてくれるそうです。

全然普通じゃないよと思いつつも、でも確かに人間って好きなもののためには無償で行動するよな、とも思います。

 

・信用を生み出す

えらいてんちょうによればリサイクルショップをやっている大小の頼まれごとが来るそうです。それを断らない。積極的に近所と交流していく。

これは著書の後編で借金玉さんとの対談でも言われていることですが、誰かに頼まれて無料で草むしりをしてあげると、その人からの信用が生まれる。その人が後で恩を感じて何かを無料でくれたりとか商売に役立つ何かをしてくれたりとリターンが返ってくる、というわけです。だからとにかく近所の人には好感を持たれるようにしろ、とえらいてんちょうはくどいくらいに言います。

そう、これって分かっていてもなかなかできないことです。

 

彼の言い分は、どちらも商売の王道、あるいは生きることの本質のように私には思えます。それを自然と実行しているあたり、ぜんぜん「しょぼく」ありません。看板に偽りあり、です。

振り返ってみて、自分はどうだったのだろうと考え直してみました。

実は私は人間関係を構築するのがとても苦手です。

人間関係をリセットする癖があり、長年の友人というものがほとんどおりません。ADHDの特性ゆえか、何かにのめりこむと他のことに手が付かず、人間関係をおろそかにしてしまうということもあります。そのため、すぐに音信不通になってしまいます。

また近視眼的で他人を自分の役に立つかどうかで判断している部分もあるのかもしれません。

分かってはいたことですが、良くないですよね、これ。

 

さらに、実は私も一時期、店舗を経営していた時期があります。

そこで居心地の良い空間が作れていたかどうかはよく分かりませんが、一定のファンはいたと思います。そこから巣立った人物は、今では業界でそこそこ業績を残しています。

ただ彼らの大半に対して、今思えば冷淡な対応をしていたかなとは思います。まあ二言目には「まけてくれ」という輩ばかりだったというせいもありますがw

それは置いておくにしても、こんな自分が信用を生み出せていたかというと甚だ疑問です。

 

一方、図解士として活動をしていたころはどうでしょうか。

特に本を出していた時期は「これは儲からないにしろ、やらなければならないこと」と信じて活動していました。子供たちがいじめられているという話を聞いて、なんとか誤解を解かないと言う気持ちが強かったのです。

結果として、多くの著名人、インフルエンサーに広めていただくことができました。

こちらの活動は「信用を生み」だせていたと思います。

実はこのころは「こんなことやってる暇ないのに、なにやってるんだろう」と何度もぼやいてました。

 

そのあと、また人間関係リセット癖がでて、何もかも嫌になり、同時に仕事でプレッシャーをかけられて何も手につかなくなっていったのは前述した通りです。

 

自分のしょぼさを認めるということ。

えらいてんちょうの言う「しょぼい起業」は実はぜんぜん「しょぼく」なかったわけですが、でも、えらいてんちょうは「しょぼい」と思います。

彼は誰もが憧れるような成功をしたわけではないでしょう。今でこそ、コンサルタントを名乗ったりもしているようですが、それ以前に、そうとう泥臭い苦労をしたと思います。夢溢れる高校生ならば「しょぼい」と見向きもされない可能性があります。

 

でも、そもそも「しょぼい」ってそんなにダメなことなんでしょうか?

 

今まで、私は自分のことはあまり話さないようにしていました。それは自分の人生が恥ずかしいというよりも、「本当のことを話して相手にしてもらえなくなったらどうしようか」という気持ちからだったと思います。

 

でもよく考えると、私は「しょぼい」人間のことが結構好きだったことに気が付いたのです。ドラマを見ても、主人公のようなきらびやかな人生よりも、なんてことはないサブキャラクターの何気ない生き方が好きになる人間でした。素晴らしい才能を持った人間が頂点を目指すストーリーよりも、才能の無い人間が泥臭く失敗するドラマの方が好きな人間でした。そういう人ってけっこう多いんじゃないでしょうか。

 

そういう意味で、えらいてんちょうの「しょぼい」ビジネスは、私にとってはビル・ゲイツスティーブ・ジョブスの成功譚よりもずっと好感が持てたのです。

 

私はやっと気づいたのです。私にとって「しょぼい」ことは魅力だったのです。

 

自分が「しょぼい」人間であることを生かす。

えらいてんちょうは自分が「しょぼい」ことを認め、そんな人間でもうまく生きる方法があるよということを提示してくれました。私のようにいわゆる発達障害の傾向をもった人間は、普通とは同じ生き方はできません。そういう意味で私は実に「しょぼい」人間です。

 

彼が本質的にどんな人間なのかは分かりません。ブログを読むとけっこうやんちゃな感じもしますし、胡散臭いと言えば胡散臭いのかもしれないですが、そんな彼が私に気づかせてくれたことはとても大切なことです。

 思えば、「なんでこんなことやっているんだろう」と思いながら本を書いていた時が、私が一番信用を生み出せていた時期でした。

これはえらいてんちょうの言う、「草むしり」をやっていた時期だったのです。今、全然活動していないにも関わらず、私には今でも2000人を超えるTwitterのフォロワーがいます。これって何気に凄いことですよね。これも「草むしり」の賜物です。

 

こんな「しょぼい」私が、今後、ある程度の成功を収めるためには、もっと「草むしり」をする必要があるのかもしれません。居心地に良い空間も、なんとか努力しましょう。

そして何より「しょぼさ」を隠すことなく、誰かに助けてもらえるように信用を積み重ねる必要があるのでしょう。

 

まあ、正直言って、今とても辛いという気持ちもあります。なにせ1日中引きこもって誰とも話せていません。このままではダメになるな、という気持ちもあります。ネットに救いを求めているのかも。

 

そんなわけで、図解士は再始動しようと思います。

忙しいので前と同じようなことはできないかもしれませんが、自分が生きるために。やれることをやってみようかなと。

 

そんな気持ちにしてくれた、えらいてんちょうに感謝。