時事図解

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ヨッピー氏が気軽に政治の話がしたいと言っていたので一般人が気軽にお話ししてみようと思う。

著名なフリーライターであるヨッピー氏が朝日新聞のインタビュー記事で語った内容が、ネットにて批判されています。

 

archive.is

 

それに対してヨッピー氏は「「政治家はもっと庶民感覚を」みたいな事言ったら叩かれた」という記事にて反論しています。

 

yoppymodel.hatenablog.com

 

ヨッピー氏の主張である、一般人でも気軽に政治の話ができるようになったほうが良いというのは賛同します。ただし、ヨッピー氏が「叩かれた」と感じた批判の本質は別にあるのではないでしょうか。

 

そもそも筆者はヨッピー氏が叩かれたという認識には賛同しません。その本質は「たしなめられた」というのが正しい。なぜならヨッピー氏の政治に対する考え方が浅薄だからです。

 

庶民感覚というものは存在するのか。

まずヨッピー氏の主張の根幹である「政治家は庶民感覚を持つべきだ。庶民と同じ生活をすべきだ」という主張を見てみましょう。

この中の批判点を箇条書きすると

 

・黒塗りの高級車を公用車に使うのはやめるべきである。

グリーン車を使用するな。

・料亭での食事は避けるべきである。

SNSでの情報発信を義務化し、食事風景を毎回公表すべきだ。

 

という主張をしています。

まずはこれに対する筆者の考えを述べましょう。(主に朝日新聞インタビュー内での主張のみを取り上げます)

黒塗りの高級車について

政治家が高級車を乗り回すのは果たして無駄なことなのでしょうか。

実は国会議員が高級車で移動するメリットはいくつかあります。

まずは安全性。そもそも政治家が使用する高級車というのは、要人警護の目的で作られたものが多く、他に比べて安全性が高い設計がなされています。高級車と言ってもフェラーリのようなスポーツ車を乗り回しているわけではありません。

仮に国会議員が交通事故などで身動きがとれなくなった時の不利益は高級車の価格以上に大きく、安全を買う意味で高級車に乗ることは経済的な視点から見ても有益です。

さらに移動は電車すればよいではないかという指摘については、勤勉な国会議員にとって「動く密室」である自動車での移動時間は会談の時間であったり、貴重な休憩時間であったりします。

多くの国民は国会議員に対して庶民以上の労働を期待しているはずですので、庶民以上の交通手段を持つのは当然ではないでしょうか。渋滞等で車が使えなくなった時に電車移動という代替手段を持ちうるという意味でも自動車の使用は肯定されるべきです。

 またヨッピー氏が最も批判している高級車による「権威付け」ですが、これは好みの問題でありますが、私はあっても良いと思います。

 少々話は飛びますが、儀装馬車というものをご存知でしょうか。

儀装馬車の概要 - 宮内庁

これは黒塗りの高級車どころか、装飾された古式ゆかしい馬車であり、非効率そのものの、おびただしい権威付けのなされた乗り物です。

この馬車は何のために使用されるかというと、古くは皇族などの移動に使用されおりましたが、今ではもっぱら外国からの外交官の信任状捧呈式に使用されています。この偽装馬車は日本をはじめとした数か国しか実施しておらず、これに乗ることは外交官の憧れとも言われております。

 この権威付けに凝り固まった時代遅れの乗り物のおかげで、外国大使、ひいてはその出身国に対して日本が丁重な扱いをしていることをアピールできるわけですから、偽装馬車による権威付けは無駄ではないわけです。

 同様に、国会議員の黒塗りの高級車も、国会議員が来た証として光栄に思う人々がいてもおかしなことではありません。結婚式や葬儀に訪れた議員が軽自動車だったとしたら、軽んじられたと感じる人のほうが多いのではないでしょうか。権威付けというのは悪い面ばかりではないはずです。

 

グリーン車での移動

政治家はグリーン車での移動をすべきではないとヨッピー氏は主張しています。グリーン車はそれほど安全でもないとグリーン車で撮影された写真をもとに不倫報道をされた政治家を例に出しています。

これは間違いです。そもそもグリーン車での密室性は保証されていません。入ろうと思えば誰でも立ち入ることができる場所であることは、新幹線を利用した人間ならだれでも知っています。この件は不倫報道を撮られた例の政治家が無防備だっただけです。

政治家がグリーン車を利用する利点は、公用車を利用する利点と似ています。まずグリーン車のほうが作業をするのに適した環境です。また、グリーン車に乗る人間の多くは社会的な身分が高い場合が多く、思わぬ出会いができるという点も無視できません。高級サロンや空港のVIPルームのようなもので、こうした立場の人たちにとってグリーン車の利用は単に身分をひけらかす以上に実務的な理由があるのです。

 

料亭での会食

食の恨みは恐ろしいという言葉もありますが、「自分よりも旨いものを食べやがって」という感情は共感されやすいのかもしれません。しかし勤勉な議員にとって会食とは多くは要人との会談の場であり、高級料亭は安全な会談場所なのです。

もしヨッピー氏の主張が通ってしまったらどうなるでしょうか。国会議員が庶民と同じ場所で食事をすることは迷惑極まりない事態を引き起こします。

なにしろ要人であればあるほど彼らはマスコミ関係者から追われており、周囲の人々に迷惑を引きおこします。仮に首相がファミレスの一角で話し合いなどしたならば、意図せず同席してしまった人々に対してメディアが殺到するのは目に見えているでしょう。

ましてや情勢の不穏な時期であれば身の安全すらおびやかされるかもしれません。うっかり政治機密を知って命を狙われるのは、物語の中だけで済ませたいものです。

誰でも気軽に入ることのできない高級店を政治家が利用するのは、むしろ庶民を守るために必要なことです。

 

SNSの義務化

ヨッピー氏は政治家にTwitterによる情報発信を義務付けるべきだと言います。

筆者も政治家はもっと情報発信をすべきだと何度も主張していますが、三食の内容まで情報公開すべきだというのは行き過ぎです。まずもって人権侵害ですし、場合によっては社会の利益を損なう可能性すらあるためです。

たとえば、現在の安倍首相は潰瘍性大腸炎で一度、総理大臣を辞職したことがあります。辞職間際の時期の安倍首相は満足に食事すらできていなかったでしょう。

一国の首相の体調はトップシークレットです。もし当時の安倍首相の食事内容が公開されていれば、第一次安倍内閣がもうすぐ終わることが誰にでも予想できたことでしょう。かといってSNSに偽の食事内容を流して良いのならそもそも義務化の意味がありません。

たとえそうでなくとも専門家が見れば、食事の内容から健康状態はある程度把握することが可能であり、公人の食事内容をネット上に公開するのは国家の安全上問題がある例を理解してほしいと思います。

またSNS上に写真を流す行為は位置情報の公開に等しく、これも場合によっては公人や周囲の人々を危険にさらす場合があります。

SNSは政治家が自発的にやるからこそ意味があるのです。

政治上の情報公開とは、議論の経緯や公金の使用意図を明らかにすることであり、公人のプライベートを公開することではないはずです。食事内容の公開など、単なるやっかみに過ぎず主張すべき権利とは程遠いものではないでしょうか。

以上は私がヨッピー氏の批判した内容に対しての感想です。しかしどちらが正しいかを問うつもりはありません。私がヨッピー氏に尋ねたいのは以下の点です。

 

私はまごうことなき庶民です。ヨッピー氏もおそらく庶民なのでしょう。二人の庶民の間ですらこうも意見が異なるのです。では、政治家が身に付けるべき庶民感覚とはいったいどのような感覚なのでしょう。

 

 そもそも庶民感覚など存在しない。

そもそも庶民感覚などというものは存在しないのです。平日の昼間に観劇を楽しむ庶民もいれば、明日の電気代の支払いさえ滞る庶民もいます。

庶民はけっして一様ではありません。であれば、庶民感覚などという共通文化なども存在しないはずです。

 つまるところヨッピー氏の言う庶民感覚とは「オレの感覚」であり、その本質は「自分の目線まで下りてきて、自分が納得できるように説明してほしい」ということではないでしょうか。

たしかに、政治家には説明責任があります。 しかし政治とは、いえ、あらゆる専門的な作業は、そんなに簡単に他者に説明できるものなのでしょうか。

 医者に対して、自分が完全に手術内容を把握できるまで説明しきってから手術を行ってくれと言う患者はおりません。乗客自身が車体の安全を確認するまで出発を待ってくれるバスの運転手もおりません。

 素人が分からなくても専門家のやることには常に合理的な理由があります。

これは素人は議論に参加するなということではありません。疑問があれば、まずは自らが学ぶことが先でだと言いたいのです。だから我々は勉強をしなくてはならないのです。

不十分でも医療の勉強をすれば、医者を信頼して手術に臨むことができます。自分で車を運転してみれば、いかにバスの運転手が安全に気を払ってバスの運行をしているかを理解できます。また、そうして勉強してきた素人の誠実な問いに対し、口を閉ざす専門家はおりません。

 政治家が庶民感覚を持ち出してきた時こそ危ない

政治に庶民感覚を求めることは危険ですらあります。

たとえば「とある建物の地下には、その建物の持ち主ですら知らなかった地下空間があり、その地下には有害物質であるヒ素を環境基準の4割も含んだ地下水が溜まっている」と言われた場合、多くの庶民は「なんて危険な状況なのだ」と思うのではないでしょうか。

 私の読者ならばすぐに判ると思いますが、これはとある政治家の庶民感覚が引き起こしたデマの一部始終です。

 この建物の持ち主すら知らなかった地下空間のことを通常は地下ピットと言い、大型建築には基本的な装備にすぎませんでした。また環境基準の4割のヒ素を含んだ水というのは、環境基準に合致した安全な水のことにすぎません。

 これらは豊洲市場の移転延期に使われた文言の一部であり、庶民はこの言葉を、小池都知事共産党の都議から聞いて「豊洲市場は危険な建物に違いない」という思い込みをしました。しかしそれが安全あることは多くの識者が指摘しています。

 小池都知事共産党の都議は庶民感覚に優れ、庶民と同様に豊洲市場を危険な建物とみなしました。しかし本当に必要だったのは庶民には理解できない専門知識であり、庶民感覚を用いた判断は有害ですらありました。学ばない庶民は騙されたのです。 この移転延期によって東京都民は一兆円以上の富を失おうとしています。

 素人判断は時として他者を傷つける

一般大衆という意味での庶民に理解できるような情報発信というのは、よほど気を付けなければ単なる上辺だけの印象論になってしまいます。

拡散力のある人間が「庶民感覚に満ちた印象論」を自らにとって都合の良いように語ると、その陰で誰かが傷つくのです。我々は築地移転問題でこのことを目の当たりにし続けました。

 だから拡散力に優れたヨッピー氏の、しかし浅はかな政治的な意見は、様々な人にたしなめられたのです。

ヨッピー氏が「見ろ、政治家は黒塗りの高級車を乗り回し、高級料亭で飲食をし、意味もないグリーン車をタダで使っている。あいつらは庶民の敵だ」と言えば、上辺だけの理解しかしない人は本質を見ずに批判します。これを扇動と言います。民主政治において最も忌まれるものの一つでしょう。

 またヨッピー氏にしても己の信念をかけて扇動をしたわけではないでしょう。それを皆知っているからたしなめたのです。

 

私が政治家に求めるもの 

では政治家に求めるものとは何でしょうか。私が好きな政治家の逸話に次のようなものがあります。

 

――巡察の旅に出発するハドリアヌスを追って、ある女性が請願に現れるが、時間がないとして断られる。すると女性は「ならばあなたは皇帝を辞めるべきです!」と叫んだ。これを聞いたハドリアヌスは、戻って彼女の話に耳を傾けた――

 

カッシウス・ディオという人が書いたローマ皇帝の伝記の一説です。

政治家とは常に忙しいものです。ましてや五賢帝の一人ハドリアヌスにはいくら時間があっても足りなかったでしょう。しかしそれでもハドリアヌスは戻って名もなき女性の話を聞きました。

 私は政治家に必要なのは庶民感覚ではなく、こうした訴えを無視しない耳なのではないかと思います。

人の能力には限界があります。おのれ一人の常識など社会の中ではちっぽけな価値観にすぎません。政治家の仕事は判断することであり、正しい判断を下すためには、多くの人の声に耳を傾けなければなりません。

そしてもう一つ、思い切って皇帝に訴えた女性の勇気を忘れてはなりません。

この女性ははたして思い付きでこのような行為に出たのでしょうか。歴史の逸話であり真偽さえ確かではありませんが、私は彼女の行為は思い悩んだ末のことではなかったかと思います。

訴える内容を繰り返し考え、どうすれば聞いてもらえるか、自分の言葉に矛盾はないかを考え続けた真摯な声だったからこそ、皇帝を振り向かせたと考えられないでしょうか。