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図解で書評 『「表現の自由」の守り方』山田太郎


いわゆるオタク文化に親しい政治家として、山田太郎氏はネットで最も有名な存在ではないでしょうか。

今回2019年の参議院選挙においても、前回29万票を得ながら比例代表制の仕組みのために落選してしまった逸話を持つ山田氏は注目候補の一人だと思います。筆者は山田氏の政治活動の図解をしたこともあり、以前から彼の活動には興味を持っていました。

 

この山田氏にはいくつか著作があるのですが、その中でも手に入りやすかった『「表現の自由」の守り方(星海社新書)』という本が面白かったので、そのご紹介をすべく「第2章 TTPと著作非親告罪化」を図解してみました。

 

TPPと著作権非親告罪化問題

 

事の起こりはTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に日本が参加しようとした時のことでした。筆者はこのTPPを詳しく解説することはできませんので、本書にある山田氏の解説をそのまま引用しておきます。

 

単に関税にとどまらず、グローバルなレベルで円滑に物事をやりとりするために、さまざまなルールのグローバルスタンダード――たとえば契約書の書き方など――を確立させること

が、TPPの本来的な目的です。(P88)

 

 

この部分だけを読めば、貿易の取り決めと二次創作とは関係ないと思ってしまうかもしれません。しかしながら実はこのTPP交渉によってコミックマーケットが開催できなる寸前まで行きかけていたのでした。いえ、コミックマーケットと限らず、二次創作そのものが存亡の危機にあったと言える危機だったのです。

 

それはなぜかといえば、TPPの効力は著作権の分野にも及んでいたため、TPPに参加することで著作者以外でも著作権法違反を申告することができるようになってしまうからでした。具体的な内容は後述しますが、これを『著作権非親告罪化』と呼びます。山田氏はこの『著作権非親告罪化』が無秩序に導入されることを防ぐために活動し、結果的に成功を勝ち取ったのでした。

 

著作権法は厳密な運用が難しい法律である

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山田氏の活動を解説する前に、基礎知識としてそれ以前の日本での著作権運用を知っておくべきでしょう。

TPP交渉以前の日本では、著作権法は『親告罪』という形で運用されていました。

 

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この『親告罪』という運用方法では、著作権の持ち主が訴え出ない限りは起訴されないことになっています。すなわち誰かが著作権法を犯したとしても、著作権者がそれを見逃せば起訴されない、罪とは認められないという扱いをされるということです。

 

ちなみに親告罪で運用される他の犯罪の例として、名誉毀損や親族間での窃盗などがあり、なんでも罪扱いにするとかえって面倒事が多い場面で扱われる法の運用方法が『親告罪』だということが分かります。

 

この著作権法が、非親告罪化で運用されると、どのようなことが起きるのか。具体例として山田氏は韓国で非親告罪化した際の例を上げています。

 

競争関係にある企業や、トラブルのあった個人の些細な著作権違反を警察に通報し、訴訟をちらつかせて「示談金」の名目で金銭を要求する「著作権トロール」や、お互いがお互いを告発するような「刺し合い」が横行し、問題となったのです。(P93)

 

著作権法の運用を非親告罪化してしまうと、誰でも簡単に犯罪を告発できてしまうため、金銭目的の「ゆすり」や法律を使ったライバル同士の牽制が起きてしまうというわけです。その結果、創作者は自衛するために「そもそも著作権を侵害しない」すなわち「二次創作を自粛する」という行動に出るのは自明の理でしょう。これはもはや二次創作の存亡の危機です。

 

扱われる作品の7割が二次創作と言われるコミックマーケット非親告罪化によって開催できなくなってしまうというのは誇張でもなんでもありません。

 

なぜ非親告罪化を採用する国があるのか

 

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山田氏は著作の中で、著作権法は厳密な運用が難しいと言っています。

 

そもそも、著作権とは「何かを書いたり描いたりしただけで、そこに権利が発生してしまう(P91)」ものです。しかしながら、たとえば絵を描く時、好きなキャラクターを描くという行為は当たり前のように行われていることです。

 

子供がアンパンマンドラえもんの絵を描くのも厳密に言えば著作権侵害ですが、だからといってそれが罪だとわざわざ訴える人はいないでしょう。これは日本に限った話ではなく、アメリカの子供がミッキーマウスの絵を描くことだってごくありふれた行為のはずです。

 

それではなぜ、著作権法をわざわ非親告罪で運用する国があるのか。

それは海賊版対策です。海賊版とは、商業的に流通されている著作物をコピーし販売したり、インターネットで流通させるたりする行為を指します。

 

本来、金銭を対価に流通している著作物ですが、それが海賊版によって安価に流通してしまっては著作権者の権利や収益が著しく損なわれてしまいます。

しかしながら、海賊版は基本的に人目につかないように流通されていますので、著作権保持者がいちいちそれを探し出し告発するのは大変な作業になります。

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原著作物の収益に大きく影響があり、市場のルールが乱されるようなことを防ぐことを優先するならば、監視を目的として著作権法非親告罪で運用する方が都合が良いという考え方もあると思います。

 

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しかし一方で、「「学ぶ」と「真似る」がともに「まねぶ」を語源にしていたりと、日本には古くから素晴らしいものを真似るところから創作が始まるという考え方(P91,92)」があるように、創作と模倣は切っても切れない関係があります。絵を描くならば、誰だって模倣から始めるものです。創作文化を保護するという意味では、著作権親告罪で運用したほうがより良い結果が出るのは間違いありません。

 

著作権の運用方法は、その国の文化への考え方、あるいは創作文化のあり方によって変わってくるものなのでしょう。

 

翻って我が国の事情を鑑みると、日本ほど同人誌文化が根づいている国は類を見ないということが言えると思われます。

個人がプロと遜色のないクオリティで創作活動を自由に楽しみ、さらには出版印刷したりできる国はごく僅かでしょう。また一個人の制作物が当たり前のように全国流通する例が他国にあることを私は知りません。コミックマーケットのように約60万人が一箇所に集まるような二次創作イベントが年に二回も開催される国は稀のはずです。

 

他国では著作権法非親告罪で運用してもそこまで問題が起きないのかもしれません。なぜならプロと見紛うほどの創作物が千部単位で流通しなければ、そもそも著作権侵害を問題視する必要もないのです。

 

しかし日本は違います。我が国は二次創作文化が圧倒的に豊かなのです。

 

これほど文化が違うのに、TPPのためだけに著作権運用を他国と足並みをそろえてしまったならば、せっかくここまで発展した創作文化が一気に他国並みに萎れてしまいます。

現代日本において、考えなしに著作権非親告罪化してしまうのは豊かな沃野を荒れ地にするに等しい行為なのです。

 

そしてなお都合の悪いことに、このTPP交渉の是非を判断する我が国の政治家は、これらの二次創作文化をまるで知りませんでした。

山田氏は言います。「知らないものに配慮する、なんてことは不可能(P98)」だと。そのため、TPP交渉が進むにつれて、我が国の著作権運用は特段に問題視されることもなく、親告罪から非親告罪へと移り変わってしまいそうでした。

もしこの時点で非親告罪化してしまったならば、日本の文化が衰退してしまうところでした。

 

山田太郎氏はどのようにこの問題を解決に導いたのか。

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国会を通じて意見を表明する

この危機を自覚し行動していたのが、当時参議院議員だった山田太郎氏です。

当時、山田氏は野党の国会議員でした。そのため直接国政に参加することはできませんでしが、それでも国会議員である以上、国会での発言権があります。

国の政策は国会のやり取りをもとに作られていくものなので、ここで的を得た質問ができれば、「表現の自由」関連の政策の動向がチェックできるのです。

 

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まず、山田氏は国会質疑を通して、何度もTPPによって二次創作に影響が出るかどうかを確認していました。甘利TPP担当大臣や著作権運用を司る下村文部科学大臣から二次創作に留意しているという旨の答弁を引き出しましたが、宮沢洋一経済産業大臣からは「コミックマーケット等の参加者に影響なしとは言えない(P97)」という答弁が出ます。やはりTPPの非親告罪化は、二次創作に影響なしとは言えなかったのです。

そもそも、宮沢大臣はこの質疑において初めてコミケという存在を認識したそうで「知らないものに配慮する」ことが出来ていないのは当然のことです。ここで国の「表現の自由」政策は非常に危ういということが確認できたのです。

 

その後も山田氏は繰り返し「表現の自由」に関する質問をしていましたので、ついには安倍総理とのやり取りにおいて、安倍総理が聞かれてもいない「TPP交渉における表現の自由と二次創作への配慮」を答弁するという珍事まで発生しました。

答弁の後、安倍総理が「山田さんの顔を見たら、二次創作とか表現の自由を聞くと思ったんで、勝手に答えちゃったよ(P105)」と言われたそうですが、すなわちそれは山田氏の主張は総理大臣にまで届いており、その重要性を認識されていたということなのです。これは野党の政治家であっても、正しい主張が繰り返しなされていれば、国政に意見を届けられるという一例でしょう。

 

学閥を使って問題解決を図る

 

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山田氏には国会議員であることとは別のコネクションもありました。それは学閥です。

山田氏の経歴を確認すると、麻布中学・高等学校から慶応大学という典型的なエリートコースを歩んできたことが分かります。

 

幸運なことに、TPP交渉において実務に参加していた渋谷和久内閣審議官が高校の先輩でした。そのため、山田氏は渋谷審議官にスムーズにコンタクトを取ることが可能でした。この渋谷審議官からは、後にTPP条文の「表現の自由」に関わるスペシャルリークを受けることになります。

 

また超党派の「MANGA議連(マンガ・アニメ・ゲームに関する議員連盟)」のアドバイザーをしていた桶田大介弁護士は高校の後輩でした。その縁で、山田氏はこの議連に招待され事務局長代行という役割を得ることができました。

MANGA議連はもともと麻生太郎氏が総理大臣在任中に提案したもので、与党の自民党議員が多く参加しています。特にこの議連に参加していた馳浩氏は後に文部科学大臣に就任しますので、山田氏の「表現の自由」に対する考えは国政に反映されやすくなりました。

 

学閥、というとあまり良い印象を受けないとは思います。山田氏も自分の学閥が役に立ったなどとは書いていませんが、エリート人生を歩んだ人々が正しい目的で協力するために役に立つならば、学閥の存在もまた世の中を良くしていく役に立つこともできるのです。

 

有識者会議

 

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馳浩氏が文部科学大臣となったことで、山田氏の活動はやりやすくなりました。そこで山田氏はヒアリングという形で有識者会議を企画します。

その会議には漫画家、学者、政治家、官僚という立場の人が参加し、情報を共有し、意見交換が図られました。

ここでの人選も山田氏の人脈が大いに役立っていると思われます。例えば、漫画家の赤松健氏、コミックマーケット準備会の里見直紀氏などを呼べたのは長年「表現の自由」を守る活動してきた山田氏の人脈があってのことでしょう。

 

このヒアリングでは重要な指示がなされました。馳文科大臣が、この問題を担当する文化庁著作権課長に直接、「二次創作、マンガ・アニメ・ゲームに影響を与えないように」という指示を出したのです。

官僚にとって大臣の指示は絶対です。結果として、著作権法の改正案は「原則、親告罪として運用」「海賊版のみ例外的に非親告罪化」という運用方法になりました。山田氏の活動がまさしく実を結んだ瞬間でした。

 

他でもない山田氏だから出来たこと

 

TPPによる著作権法非親告罪化問題において、山田氏の果たした役割とはなんだったのでしょうか。

筆者は2つの点を強調したいと思います。

まず1つ目は、真っ先に二次創作等への影響に気づき行動を開始したこと。山田氏の行動が迅速で、かつ粘り強いものだったからこそ、国会を中心に多くの人々がその重要性に気づけたのだと思います。特に安倍総理にまで届いたということは特筆に値することでしょう。

 

2つ目はその人脈によって多くの人々をつなぐことが出来たということです。

山田氏も「今回の件で私に功績があるとすれば、それは人と人をつなぐということ(P118)」と自らを評しています。たとえ国会議員としての地位と権力があったとしても、人脈というものは一朝一夕では作り得ないものです。その点、山田太郎氏は高校の先輩後輩といった関係や、それまでの「表現の自由」を守る活動によって得た知己というコネクションがありました。この問題を誰もが納得する形で解決まで導けたのは、国会議員であっても山田氏以外ありえなかったでしょう。

 

筆者の感想

 

本書のタイトルは「「表現の自由」の守り方」ですが、実際のところ方法論というよりも、山田氏が国会議員としてどのように働いたかの自伝と言って良い内容です。

 

我々一般人からすると政治家、特に野党の政治家の働き方というのはとても見えにくいものです。

政治家がどのように自らの目標実現を目指し働いているのか。政治というものがよくわからないと感じている人は、二次創作などのオタク活動抜きにしても読むべき価値のある本だと筆者は考えます。

特に若い人とには内容も身近でしょうし、政治を学ぶにはうってつけの一冊だと思います。(※ただ、最初の小説風の書き出しだけは読みづらかったです)

 

【ゆる募】

もしよろしければ図解をするための本(新書)を私に推薦いただけると助かります。

新書に限定する理由は、買い求めやすく、かつ内容が短くまとまっているためです。

またこの書評は15歳の少年が読める文章を目指しているため、中学3年生でも比較的入手しやすいだろうという考えもあります。よろしければ@zukaiseiriまでご一報いただけるとありがたく存じます。

見当違いな藤田孝典さんの「子ども食堂」論にいっちょ噛みしてみます。

こんにちは図解士です。

 

先日からTwitter界隈を中心として、ファミリーマート子ども食堂事業が話題になっています。

 

というのも、このファミリーマート子ども食堂事業に対して、藤田孝典という社会福祉関連の活動家の方が噛みついたからです。

 

この辺が意見の対立を取り上げていて詳しいです。https://togetter.com/li/1315501

 

その後、藤田氏はヤフーニュースにも寄稿しています。https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190203-00113525/

 

このヤフーニュースを読んで、これはもはや提言とすら呼べないな、と思ったのが今回の記事を書くきっかけです。

 

Twitterでは話があっちこっちに飛びますので、今回はヤフーニュースの藤田氏の記事のみを取り上げて、なぜ私がここまで酷評を下したのかを合わせて解説します。

藤田孝典氏、ファミリーマートの「子ども食堂」事業に噛みつく。

先の投稿記事での藤田氏の意見は三つに集約できるでしょう。

 

・先駆者に敬意を表し、理念や思想を共有すべし

・コンビニはワープア再生産の現場

・国家責任を後退させる民間支援

 

急いで書いたのが分かる文章です。正直、後ろ二つに至っては子ども食堂とは直接関係ないですしね。

 

とりあえず一つずつ見ていきましょう。

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先駆者に敬意を表し、理念や思想を共有すべし

藤田氏にによれば「子ども食堂」とは、以下のような存在だそうです。

 

手づくりで温かい家庭的な食事を提供されることが一般的

食事を提供するだけではなく、子どもとの交流も目的に地域での見守り支援や家庭への支援も含まれている

 

 

確かに、そういう形態で営まれていることが多いかもしれません。

 

しかし、そうとも限りません。

以前、私は子ども食堂の運営が厳しくて辞めてしまった事例を取り上げたことがあります。その活動をなさっていた方は、食堂という形ではなく、小さなお祭りのようなイベントを主催することで、子供たちの支援を続けることにしました。

彼の活動は「子ども食堂」よりも敬意を抱けないものでしょうか。理念として劣るのでしょうか。

そんなはずはありません。

子供たちを支援しようと思う志は活動の形態を問わず素晴らしいものですし、子ども食堂かくあるべし、という決まりなどどこにもないはずです。

私がツイッターで呟いたことですが、こういうたこ焼き屋もあります。

 

https://twitter.com/zukaiseiri/status/1092433107007852544

 

このたこ焼き屋は小学生は10円でたこ焼きを買うことができます。

そして10円すら持っていない子供のために、わざと内部を布張りにした箱で代金を回収しています。

仮にお金を持っていない子供でも、払ったふりができるようにです。

 

これも従来の「子ども食堂」とは異なった支援活動ですが、藤田氏はこういう活動は認められないのでしょうか。

 

そうではありませんよね。

子ども食堂の形を一つに縛る必要はないのです。

 

コンビニはワープア再生産の現場

正直、「だから何なんだ」で終わる意見なのですが、それではあまりに不親切なのでもう少しだけ書き加えます。

 

そもそも、コンビニがどうやってワープアを生産するのでしょうか。その過程が分かるならぜひ教えてほしい。

 

たしかに藤田氏の言う通りコンビニでは多くのワープアと表現される人々が働いているでしょう。しかし、コンビニは何か強大な権力をもって彼らをワープアに陥れているわけではありません。ワープアが都合よく労働力として働いてくれるので、それを活用しているだけです。

 

コンビニで働き続けることによってワープアの人はワープアのままかもしれません。しかし、だからと言ってコンビニにその人々の生活の向上まで求めるのは筋が違うはずです。

それは大きくは社会の問題であり、行政の仕事でしょう。

 

一時期、仕事で池袋に通っていた時、サンシャインビルに向かってファミリーマートの違法労働を訴える集団に出会ったことがあります。私には詳細は分かりませんが、藤田氏にはそういったファミリーマートの労働搾取についての話題を豊富に知っているのかもしれません。

 

しかし、それとこれとは別です。

藤田氏が悪と決めたら、どんな慈善活動も許されないのでしょうか。

そんな馬鹿な。

ファミリーマート子ども食堂をやったっていいじゃないですか。

結局これは「だから何なんだ」で終わる話なのです。

 

国家責任を後退させる民間支援

これはもう語る気すら起きないのでばっさり言ってしまいますが、一企業の福祉事業と国家論になんの関係があるんですか?

 

総括

全体を通して言えることは、藤田氏の意見には、何一つ生産性が無い、ということです。

ファミリーマートの「子ども食堂」事業で救われる子供や家庭はあっても、藤田氏の意見で救われる人は誰もいません。あったとしても勘違いした慈善活動家の偏屈な自尊心だけでしょう。

 

なぜ社会活動家として実績のある彼がこんな筋の通らない意見を書いてしまったのでしょうか。

彼のこの件での第一声はおそらくはTwitterだと思いますが、最初から彼は多くの批判にさらされてきました。私も藤田氏の一連の発言には賛同できない部分も多くありますが、言い方さえ気を付けていれば、あそこまで炎上することもなかったでしょう。

ファミリーマートの労働問題など、周知する良い機会だったかもしれません。

 

そして、炎上のストレスがあの記事につながってしまったとしたら、それはとても残念なことです。さすがに視野狭窄にすぎます。

結果として、ご本人の評価を下げるだけの結果になってしまいました。なにより文章に焦りがにじみ出ています。クールダウンすべきだと思います。

藤田氏の志そのものは立派なものでしょうし活動実績だってあります。落ち着いて意見を述べればきっと素晴らしいものになるのではないでしょうか。

 

ちなみに、不明なる私の意見としましては、藤田氏にはこういった事業のノウハウがたくさんあるのでしょうし、それをファミリーマートに売り込んでみれば、より良い成果につながるような気がするのですがいかがでしょう?

 

なんかえらそうですいません。

 

※訂正。藤田氏を藤井氏と間違っておりました。謹んでお詫びします。訂正いたしました。

「しょぼい起業で生きていく」は、看板に偽りありなのかもしれない。

お久しぶりです。生きてます。

1年以上、ブログをほったらかしにしました。

 

なぜかというと、仕事の方でだいぶプレシャーをかけられて文章を書く気も起きなかったからです。私が今、何をしているのかというとebayというところで日本のオークションにあるものを転売しています。

 

「図解士さんなぜそんなことを」と思う方もいるでしょうが、もともと私がネットで活動していた時期は、お仕事のお付き合いのあるオーナーさん(ほぼ個人事業主)の商売を手伝っていたときだったのです。

といっても私は特に経営に参画していたわけではなく、ただ言われたことを淡々とやって「○○をしたいんだけど、エクセルでちょっとデータを作って」とかそういう作業をしていただけです。

 

事業は一年ほど継続していたのですが、オーナーさんが経営にどんどん興味を失っていったため、私の負担が軽くなりその合間でネットの活動ができていたというわけです。

 

ところが、ついにその事業がとん挫して(ある意味、当然)次に何をやろうかということになり、そこで、たままた私が昔やっていた事業でebayのアカウントを持っていたことが話題になったんですね。そして「じゃあebayをやろうか」となったんです。

 

先程話した通り、私は経営に参画しているつもりがなかったので、言われたとおりに作業をしていました。なにかアイデアを出すと「余計なことをするな」なんても言われてましたしね。

 

今回の事業はオーナー曰く「事業に資金を使いたくない。ホリエモンも言っている。在庫を持たないビジネスが最高だ」という話の流れから、「ならば在庫を持たずに転売すればいいじゃない」という結論になり、在庫を持たずに転売をすることになったのです。こういう商売の手法の良し悪しは読者の判断にゆだねます。

 

とはいえ、素人がいきなりそんな器用なことをやってもなかなか成果も出ません。

 

そうなるとオーナーさんはどんどん不機嫌になっていき、「ブラック企業並みに働け」「犯罪を犯してでもいいから金を稼げ」とか言ってくるようになってきました。あるいは思い付きで「〇〇を売ってみろ」という命令が下り、現状の作業を回すのだっていっぱいいっぱいなのにそちらに注力しなくてはならないときもしょっちゅうでした。ちなみにオーナーは言うだけ言って何も仕事はしていません。いろいろと事業を調査して考えている、みたいです。

 

最後には、「お前は俺にとってはサービス提供者だ。それなのに、払った金に見合わないサービスしかしないのはなぜだ。いくらお前に金を使ったと思ってる。なんでもいいから成果を出せ」みたいなことを言われて、「あれ、私っていつの間に経営側に回ったんだろ」と思いつつ、与えられるプレッシャーと責任感で忙殺され、いつしかネットもおろそかになったわけです。まあ、「お金をもらっている以上、やれることはやらないと」とは思うわけでして、にっちもさっちもいかなくなっていったわけです。

 

「しょぼい」という言葉に惹かれました。

なんでそんなところで働いているんだという話はまた今度にして、そんな風に心を殺して生きている毎日にふと飛び込んできたのがえらいてんちょうという人へのインタビュー記事でした。

 

https://book.asahi.com/article/12104260


それほど長い記事ではないので、興味がある人は読んでいただければと思うのですが、このえらいてんちょうは、「しょぼい起業で生きていく」という本を書いてブレイクし、今ちょっとした時の人になっている人です。

 

「しょぼい」という言葉がえらく気に入って、本日、著作を読ませていただきました。

 

しょぼい起業で生きていく

しょぼい起業で生きていく

 

 

このえらいてんちょうは、慶応大学を卒業しているのにも関わらず、「朝早く起きられない」という理由で、就職せずに起業した人です。私はADHDでして、朝早く起きられないとか、満員電車に乗って通勤できないという「普通の人と同じことができない」という気持ちはとても共感出来ます。

 

さらにえらいてんちょうは、実は学生時代に一度休学し、リサイクルショップを立ち上げ成功させていました。私も一度心を病んで大学を休学しているので、ますます共感が持てます。

その後、リサイクルショップのお客さんから学習塾の経営を譲り受けたり、遊びのために居抜き気物件のバーを借りたら、面白い企画を立ち上げて成功したりと、なんやかんやで成功を収めていく様子は、物語としてとても面白いし、示唆にも富んでいると思います。

 

そこらへんの「(自称)しょぼい」サクセスストーリーはぜひ著書をお読みいただくとして、私が思ったことは「全然しょぼくないじゃないか。看板に偽りありだ」という事でした。

えらてんさん、「看板に偽りあり」ですよ。

えらいてんちょうのやっていることは、いわば商売の王道のようなもので「徒手空拳の人間が商売で成功するにはどうすればいいか」ということが如実に分かる内容です。だから彼はぜんぜん「しょぼく」ありません。

それに彼の方法で誰もが成功できるわけではないことは彼自身が認めています。相当に運も絡みます。えらいてんちょうはかなり運がいい。やはり「しょぼく」ありません。

 

彼の成功は、東京という土地だからこそ個人リサイクルショップでうまく行った可能性が高いですし、学習塾を譲り受けられたのも完全に運です。そしてバーの経営も、東京以外の土地で、ニッチな人々を集めるのは難しいでしょう。

また彼自身もすごい。「店に住めば(生活のために)家賃が要らない」などと普通の人には真似できないことをやっています。

だから彼の表面を真似しても、簡単には成功しないだろうなと思います。そういう意味ではこの本はぜんぜん参考にならない。

 

この本の本質はこの2点だと思う。

ですが、それでも彼の言うことで成功のための本質をついているなと思うことが2つあります。それは――

 

「居心地の良いスペースを作る」

「信用を生み出す」

 

です。

 

・居心地の良いスペースを作る

えらいてんちょうは、店を毎日開けてお客がいつでもやってこれるようにしろと言います。そしてやってきた暇人にお茶を出すなどして「居心地の良い空間を作れ」と言っています。人が集まってくると、すると店にも活気があふれ、皆が手伝いを申し出てくれるようになる、のだそうです。本の中ではお客さんが自発的に掃除をしてくれたり店番までしてくれるそうです。

全然普通じゃないよと思いつつも、でも確かに人間って好きなもののためには無償で行動するよな、とも思います。

 

・信用を生み出す

えらいてんちょうによればリサイクルショップをやっている大小の頼まれごとが来るそうです。それを断らない。積極的に近所と交流していく。

これは著書の後編で借金玉さんとの対談でも言われていることですが、誰かに頼まれて無料で草むしりをしてあげると、その人からの信用が生まれる。その人が後で恩を感じて何かを無料でくれたりとか商売に役立つ何かをしてくれたりとリターンが返ってくる、というわけです。だからとにかく近所の人には好感を持たれるようにしろ、とえらいてんちょうはくどいくらいに言います。

そう、これって分かっていてもなかなかできないことです。

 

彼の言い分は、どちらも商売の王道、あるいは生きることの本質のように私には思えます。それを自然と実行しているあたり、ぜんぜん「しょぼく」ありません。看板に偽りあり、です。

振り返ってみて、自分はどうだったのだろうと考え直してみました。

実は私は人間関係を構築するのがとても苦手です。

人間関係をリセットする癖があり、長年の友人というものがほとんどおりません。ADHDの特性ゆえか、何かにのめりこむと他のことに手が付かず、人間関係をおろそかにしてしまうということもあります。そのため、すぐに音信不通になってしまいます。

また近視眼的で他人を自分の役に立つかどうかで判断している部分もあるのかもしれません。

分かってはいたことですが、良くないですよね、これ。

 

さらに、実は私も一時期、店舗を経営していた時期があります。

そこで居心地の良い空間が作れていたかどうかはよく分かりませんが、一定のファンはいたと思います。そこから巣立った人物は、今では業界でそこそこ業績を残しています。

ただ彼らの大半に対して、今思えば冷淡な対応をしていたかなとは思います。まあ二言目には「まけてくれ」という輩ばかりだったというせいもありますがw

それは置いておくにしても、こんな自分が信用を生み出せていたかというと甚だ疑問です。

 

一方、図解士として活動をしていたころはどうでしょうか。

特に本を出していた時期は「これは儲からないにしろ、やらなければならないこと」と信じて活動していました。子供たちがいじめられているという話を聞いて、なんとか誤解を解かないと言う気持ちが強かったのです。

結果として、多くの著名人、インフルエンサーに広めていただくことができました。

こちらの活動は「信用を生み」だせていたと思います。

実はこのころは「こんなことやってる暇ないのに、なにやってるんだろう」と何度もぼやいてました。

 

そのあと、また人間関係リセット癖がでて、何もかも嫌になり、同時に仕事でプレッシャーをかけられて何も手につかなくなっていったのは前述した通りです。

 

自分のしょぼさを認めるということ。

えらいてんちょうの言う「しょぼい起業」は実はぜんぜん「しょぼく」なかったわけですが、でも、えらいてんちょうは「しょぼい」と思います。

彼は誰もが憧れるような成功をしたわけではないでしょう。今でこそ、コンサルタントを名乗ったりもしているようですが、それ以前に、そうとう泥臭い苦労をしたと思います。夢溢れる高校生ならば「しょぼい」と見向きもされない可能性があります。

 

でも、そもそも「しょぼい」ってそんなにダメなことなんでしょうか?

 

今まで、私は自分のことはあまり話さないようにしていました。それは自分の人生が恥ずかしいというよりも、「本当のことを話して相手にしてもらえなくなったらどうしようか」という気持ちからだったと思います。

 

でもよく考えると、私は「しょぼい」人間のことが結構好きだったことに気が付いたのです。ドラマを見ても、主人公のようなきらびやかな人生よりも、なんてことはないサブキャラクターの何気ない生き方が好きになる人間でした。素晴らしい才能を持った人間が頂点を目指すストーリーよりも、才能の無い人間が泥臭く失敗するドラマの方が好きな人間でした。そういう人ってけっこう多いんじゃないでしょうか。

 

そういう意味で、えらいてんちょうの「しょぼい」ビジネスは、私にとってはビル・ゲイツスティーブ・ジョブスの成功譚よりもずっと好感が持てたのです。

 

私はやっと気づいたのです。私にとって「しょぼい」ことは魅力だったのです。

 

自分が「しょぼい」人間であることを生かす。

えらいてんちょうは自分が「しょぼい」ことを認め、そんな人間でもうまく生きる方法があるよということを提示してくれました。私のようにいわゆる発達障害の傾向をもった人間は、普通とは同じ生き方はできません。そういう意味で私は実に「しょぼい」人間です。

 

彼が本質的にどんな人間なのかは分かりません。ブログを読むとけっこうやんちゃな感じもしますし、胡散臭いと言えば胡散臭いのかもしれないですが、そんな彼が私に気づかせてくれたことはとても大切なことです。

 思えば、「なんでこんなことやっているんだろう」と思いながら本を書いていた時が、私が一番信用を生み出せていた時期でした。

これはえらいてんちょうの言う、「草むしり」をやっていた時期だったのです。今、全然活動していないにも関わらず、私には今でも2000人を超えるTwitterのフォロワーがいます。これって何気に凄いことですよね。これも「草むしり」の賜物です。

 

こんな「しょぼい」私が、今後、ある程度の成功を収めるためには、もっと「草むしり」をする必要があるのかもしれません。居心地に良い空間も、なんとか努力しましょう。

そして何より「しょぼさ」を隠すことなく、誰かに助けてもらえるように信用を積み重ねる必要があるのでしょう。

 

まあ、正直言って、今とても辛いという気持ちもあります。なにせ1日中引きこもって誰とも話せていません。このままではダメになるな、という気持ちもあります。ネットに救いを求めているのかも。

 

そんなわけで、図解士は再始動しようと思います。

忙しいので前と同じようなことはできないかもしれませんが、自分が生きるために。やれることをやってみようかなと。

 

そんな気持ちにしてくれた、えらいてんちょうに感謝。

ヨッピー氏が気軽に政治の話がしたいと言っていたので一般人が気軽にお話ししてみようと思う。

著名なフリーライターであるヨッピー氏が朝日新聞のインタビュー記事で語った内容が、ネットにて批判されています。

 

archive.is

 

それに対してヨッピー氏は「「政治家はもっと庶民感覚を」みたいな事言ったら叩かれた」という記事にて反論しています。

 

yoppymodel.hatenablog.com

 

ヨッピー氏の主張である、一般人でも気軽に政治の話ができるようになったほうが良いというのは賛同します。ただし、ヨッピー氏が「叩かれた」と感じた批判の本質は別にあるのではないでしょうか。

 

そもそも筆者はヨッピー氏が叩かれたという認識には賛同しません。その本質は「たしなめられた」というのが正しい。なぜならヨッピー氏の政治に対する考え方が浅薄だからです。

 

庶民感覚というものは存在するのか。

まずヨッピー氏の主張の根幹である「政治家は庶民感覚を持つべきだ。庶民と同じ生活をすべきだ」という主張を見てみましょう。

この中の批判点を箇条書きすると

 

・黒塗りの高級車を公用車に使うのはやめるべきである。

グリーン車を使用するな。

・料亭での食事は避けるべきである。

SNSでの情報発信を義務化し、食事風景を毎回公表すべきだ。

 

という主張をしています。

まずはこれに対する筆者の考えを述べましょう。(主に朝日新聞インタビュー内での主張のみを取り上げます)

黒塗りの高級車について

政治家が高級車を乗り回すのは果たして無駄なことなのでしょうか。

実は国会議員が高級車で移動するメリットはいくつかあります。

まずは安全性。そもそも政治家が使用する高級車というのは、要人警護の目的で作られたものが多く、他に比べて安全性が高い設計がなされています。高級車と言ってもフェラーリのようなスポーツ車を乗り回しているわけではありません。

仮に国会議員が交通事故などで身動きがとれなくなった時の不利益は高級車の価格以上に大きく、安全を買う意味で高級車に乗ることは経済的な視点から見ても有益です。

さらに移動は電車すればよいではないかという指摘については、勤勉な国会議員にとって「動く密室」である自動車での移動時間は会談の時間であったり、貴重な休憩時間であったりします。

多くの国民は国会議員に対して庶民以上の労働を期待しているはずですので、庶民以上の交通手段を持つのは当然ではないでしょうか。渋滞等で車が使えなくなった時に電車移動という代替手段を持ちうるという意味でも自動車の使用は肯定されるべきです。

 またヨッピー氏が最も批判している高級車による「権威付け」ですが、これは好みの問題でありますが、私はあっても良いと思います。

 少々話は飛びますが、儀装馬車というものをご存知でしょうか。

儀装馬車の概要 - 宮内庁

これは黒塗りの高級車どころか、装飾された古式ゆかしい馬車であり、非効率そのものの、おびただしい権威付けのなされた乗り物です。

この馬車は何のために使用されるかというと、古くは皇族などの移動に使用されおりましたが、今ではもっぱら外国からの外交官の信任状捧呈式に使用されています。この偽装馬車は日本をはじめとした数か国しか実施しておらず、これに乗ることは外交官の憧れとも言われております。

 この権威付けに凝り固まった時代遅れの乗り物のおかげで、外国大使、ひいてはその出身国に対して日本が丁重な扱いをしていることをアピールできるわけですから、偽装馬車による権威付けは無駄ではないわけです。

 同様に、国会議員の黒塗りの高級車も、国会議員が来た証として光栄に思う人々がいてもおかしなことではありません。結婚式や葬儀に訪れた議員が軽自動車だったとしたら、軽んじられたと感じる人のほうが多いのではないでしょうか。権威付けというのは悪い面ばかりではないはずです。

 

グリーン車での移動

政治家はグリーン車での移動をすべきではないとヨッピー氏は主張しています。グリーン車はそれほど安全でもないとグリーン車で撮影された写真をもとに不倫報道をされた政治家を例に出しています。

これは間違いです。そもそもグリーン車での密室性は保証されていません。入ろうと思えば誰でも立ち入ることができる場所であることは、新幹線を利用した人間ならだれでも知っています。この件は不倫報道を撮られた例の政治家が無防備だっただけです。

政治家がグリーン車を利用する利点は、公用車を利用する利点と似ています。まずグリーン車のほうが作業をするのに適した環境です。また、グリーン車に乗る人間の多くは社会的な身分が高い場合が多く、思わぬ出会いができるという点も無視できません。高級サロンや空港のVIPルームのようなもので、こうした立場の人たちにとってグリーン車の利用は単に身分をひけらかす以上に実務的な理由があるのです。

 

料亭での会食

食の恨みは恐ろしいという言葉もありますが、「自分よりも旨いものを食べやがって」という感情は共感されやすいのかもしれません。しかし勤勉な議員にとって会食とは多くは要人との会談の場であり、高級料亭は安全な会談場所なのです。

もしヨッピー氏の主張が通ってしまったらどうなるでしょうか。国会議員が庶民と同じ場所で食事をすることは迷惑極まりない事態を引き起こします。

なにしろ要人であればあるほど彼らはマスコミ関係者から追われており、周囲の人々に迷惑を引きおこします。仮に首相がファミレスの一角で話し合いなどしたならば、意図せず同席してしまった人々に対してメディアが殺到するのは目に見えているでしょう。

ましてや情勢の不穏な時期であれば身の安全すらおびやかされるかもしれません。うっかり政治機密を知って命を狙われるのは、物語の中だけで済ませたいものです。

誰でも気軽に入ることのできない高級店を政治家が利用するのは、むしろ庶民を守るために必要なことです。

 

SNSの義務化

ヨッピー氏は政治家にTwitterによる情報発信を義務付けるべきだと言います。

筆者も政治家はもっと情報発信をすべきだと何度も主張していますが、三食の内容まで情報公開すべきだというのは行き過ぎです。まずもって人権侵害ですし、場合によっては社会の利益を損なう可能性すらあるためです。

たとえば、現在の安倍首相は潰瘍性大腸炎で一度、総理大臣を辞職したことがあります。辞職間際の時期の安倍首相は満足に食事すらできていなかったでしょう。

一国の首相の体調はトップシークレットです。もし当時の安倍首相の食事内容が公開されていれば、第一次安倍内閣がもうすぐ終わることが誰にでも予想できたことでしょう。かといってSNSに偽の食事内容を流して良いのならそもそも義務化の意味がありません。

たとえそうでなくとも専門家が見れば、食事の内容から健康状態はある程度把握することが可能であり、公人の食事内容をネット上に公開するのは国家の安全上問題がある例を理解してほしいと思います。

またSNS上に写真を流す行為は位置情報の公開に等しく、これも場合によっては公人や周囲の人々を危険にさらす場合があります。

SNSは政治家が自発的にやるからこそ意味があるのです。

政治上の情報公開とは、議論の経緯や公金の使用意図を明らかにすることであり、公人のプライベートを公開することではないはずです。食事内容の公開など、単なるやっかみに過ぎず主張すべき権利とは程遠いものではないでしょうか。

以上は私がヨッピー氏の批判した内容に対しての感想です。しかしどちらが正しいかを問うつもりはありません。私がヨッピー氏に尋ねたいのは以下の点です。

 

私はまごうことなき庶民です。ヨッピー氏もおそらく庶民なのでしょう。二人の庶民の間ですらこうも意見が異なるのです。では、政治家が身に付けるべき庶民感覚とはいったいどのような感覚なのでしょう。

 

 そもそも庶民感覚など存在しない。

そもそも庶民感覚などというものは存在しないのです。平日の昼間に観劇を楽しむ庶民もいれば、明日の電気代の支払いさえ滞る庶民もいます。

庶民はけっして一様ではありません。であれば、庶民感覚などという共通文化なども存在しないはずです。

 つまるところヨッピー氏の言う庶民感覚とは「オレの感覚」であり、その本質は「自分の目線まで下りてきて、自分が納得できるように説明してほしい」ということではないでしょうか。

たしかに、政治家には説明責任があります。 しかし政治とは、いえ、あらゆる専門的な作業は、そんなに簡単に他者に説明できるものなのでしょうか。

 医者に対して、自分が完全に手術内容を把握できるまで説明しきってから手術を行ってくれと言う患者はおりません。乗客自身が車体の安全を確認するまで出発を待ってくれるバスの運転手もおりません。

 素人が分からなくても専門家のやることには常に合理的な理由があります。

これは素人は議論に参加するなということではありません。疑問があれば、まずは自らが学ぶことが先でだと言いたいのです。だから我々は勉強をしなくてはならないのです。

不十分でも医療の勉強をすれば、医者を信頼して手術に臨むことができます。自分で車を運転してみれば、いかにバスの運転手が安全に気を払ってバスの運行をしているかを理解できます。また、そうして勉強してきた素人の誠実な問いに対し、口を閉ざす専門家はおりません。

 政治家が庶民感覚を持ち出してきた時こそ危ない

政治に庶民感覚を求めることは危険ですらあります。

たとえば「とある建物の地下には、その建物の持ち主ですら知らなかった地下空間があり、その地下には有害物質であるヒ素を環境基準の4割も含んだ地下水が溜まっている」と言われた場合、多くの庶民は「なんて危険な状況なのだ」と思うのではないでしょうか。

 私の読者ならばすぐに判ると思いますが、これはとある政治家の庶民感覚が引き起こしたデマの一部始終です。

 この建物の持ち主すら知らなかった地下空間のことを通常は地下ピットと言い、大型建築には基本的な装備にすぎませんでした。また環境基準の4割のヒ素を含んだ水というのは、環境基準に合致した安全な水のことにすぎません。

 これらは豊洲市場の移転延期に使われた文言の一部であり、庶民はこの言葉を、小池都知事共産党の都議から聞いて「豊洲市場は危険な建物に違いない」という思い込みをしました。しかしそれが安全あることは多くの識者が指摘しています。

 小池都知事共産党の都議は庶民感覚に優れ、庶民と同様に豊洲市場を危険な建物とみなしました。しかし本当に必要だったのは庶民には理解できない専門知識であり、庶民感覚を用いた判断は有害ですらありました。学ばない庶民は騙されたのです。 この移転延期によって東京都民は一兆円以上の富を失おうとしています。

 素人判断は時として他者を傷つける

一般大衆という意味での庶民に理解できるような情報発信というのは、よほど気を付けなければ単なる上辺だけの印象論になってしまいます。

拡散力のある人間が「庶民感覚に満ちた印象論」を自らにとって都合の良いように語ると、その陰で誰かが傷つくのです。我々は築地移転問題でこのことを目の当たりにし続けました。

 だから拡散力に優れたヨッピー氏の、しかし浅はかな政治的な意見は、様々な人にたしなめられたのです。

ヨッピー氏が「見ろ、政治家は黒塗りの高級車を乗り回し、高級料亭で飲食をし、意味もないグリーン車をタダで使っている。あいつらは庶民の敵だ」と言えば、上辺だけの理解しかしない人は本質を見ずに批判します。これを扇動と言います。民主政治において最も忌まれるものの一つでしょう。

 またヨッピー氏にしても己の信念をかけて扇動をしたわけではないでしょう。それを皆知っているからたしなめたのです。

 

私が政治家に求めるもの 

では政治家に求めるものとは何でしょうか。私が好きな政治家の逸話に次のようなものがあります。

 

――巡察の旅に出発するハドリアヌスを追って、ある女性が請願に現れるが、時間がないとして断られる。すると女性は「ならばあなたは皇帝を辞めるべきです!」と叫んだ。これを聞いたハドリアヌスは、戻って彼女の話に耳を傾けた――

 

カッシウス・ディオという人が書いたローマ皇帝の伝記の一説です。

政治家とは常に忙しいものです。ましてや五賢帝の一人ハドリアヌスにはいくら時間があっても足りなかったでしょう。しかしそれでもハドリアヌスは戻って名もなき女性の話を聞きました。

 私は政治家に必要なのは庶民感覚ではなく、こうした訴えを無視しない耳なのではないかと思います。

人の能力には限界があります。おのれ一人の常識など社会の中ではちっぽけな価値観にすぎません。政治家の仕事は判断することであり、正しい判断を下すためには、多くの人の声に耳を傾けなければなりません。

そしてもう一つ、思い切って皇帝に訴えた女性の勇気を忘れてはなりません。

この女性ははたして思い付きでこのような行為に出たのでしょうか。歴史の逸話であり真偽さえ確かではありませんが、私は彼女の行為は思い悩んだ末のことではなかったかと思います。

訴える内容を繰り返し考え、どうすれば聞いてもらえるか、自分の言葉に矛盾はないかを考え続けた真摯な声だったからこそ、皇帝を振り向かせたと考えられないでしょうか。

上田都議と音喜多都議には、都民ファーストの看板を背負ったあの都議選から目を逸らさないでほしい。

10月5日。元都民ファーストの会所属の上田令子・音喜多駿両都議が、会派離脱の会見を行いました。

logmi.jp

普段は都政内部の話ということで口出しを控えておりましたが、この問題に関連する希望の党は国政を目指していること、音喜多都議とは面識がある程度ですが一応、顔見知りということで個人的な考えを書かせていただきます。

上田都議ー都民ファーストの会運営への不満

まず上田都議が会派離脱の理由を大まかに言って三つに分けて語りました。なお、この記事は私からの視点であり、上田氏の語り口と必ずしも一致するものではありません。

・所属地域政党の解散要求

上田都議は都議として活動する傍ら、地域政党「自由を守る会」を設立し代表を務めていました。しかしこの組織は都民ファーストの当時の代表(野田数氏)によって、解散を命じられました。
上田氏は「水を飲むときには井戸を掘った人を忘れてはならない」という言葉を引いて、知事選においてこの地域政党がいかに小池知事誕生に尽力したかを強調しています。この解散要求は上田氏にとって激しい苦痛であったことでしょう。

・金銭負担

上田氏は都民ファーストの会の資金繰りについても苦言を呈しております。政務活動費15万、党費6万円が毎月徴収されており、後の質疑応答のなかでも自民党と比較しても高い負担であることを訴えています。また資金集めのためのパーティ券を配ることも要求され、これは政治信条の観点から拒否をしたとのことです。とにかく都民ファーストからの金銭的要求は限度を超えていたということが分かります。

・議員活動の制限

また上田氏は閉会中の文書質問や、委員会での資料要求が禁じられていたことも離脱の理由に挙げています。
文書質問とは、議会の閉会中に議員が行政に対して質問できる制度です。(ちょうど音喜多都議が自らの失敗を基にして解説している記事があったのでリンクしておきます。)
また議員には委員会で資料要求する権利があり、上田氏はこの制度を活用することを得意としていたようですが、それも禁じられたことが不満であった様子です。(こちらも上田氏がブログで開設した記事がありましたのでリンクしておきます。)

以上のように上田氏は、都民ファーストの会が議員個人に対して著しく活動を制限し、高い金銭負担を要求することが耐えらず、党の運営に対する不満が離脱につながったようです。

音喜多都議ー小池政治への不満

一方、音喜多氏の場合はどうでしょうか。音喜多氏の場合は、主に会のカバナンスと小池都知事に対する不信感が離党の決め手になったようです。

・会派のガバナンス

都民ファーストの会は、東京都の地域政党にも関わらず、都知事の特別秘書である野田数氏が代表を務めていました。それが都議選になると、二元代表制という地方議会の原則を無視するかのように小池都知事が代表に就任し、都議選が終わるとまた野田氏に代表を戻します。
その後、特にそれらしい理由も明かされずに小池氏の秘書であった荒木千陽氏に代わります。こうした代表の頻繁な交代は数名の役員のみで決められ、会派に参加する都議ですら何ら意思決定に参加できませんでした。

小池都知事への不満

また音喜多氏は「右から左まで、思想も政策も理念も異なる政治家たちが200名近く集まっておられます」と小池氏が設立した希望の党へ不信感を表明しています。知事本人に対しても、都民ファーストの会の代表を辞任する理由が「都政に専念する」であったにも関わらず、舌の根の乾かぬ内に打ち出した希望の党の設立と知事自身の国政復帰について批判しています。

音喜多氏の場合は、要するに「小池政治」そのものにノーを突き付けたということでしょう。

小池政治の不透明さは今に始まったことではない

筆者は上田氏、音喜多氏が都民ファーストの会を離脱したことを評価しています。都民ファーストの会、というより小池政治そのものが、うわべだけを飾った実務能力皆無の政治ですし、そのような政治に与することは一刻も早く辞めるべきです。

しかし両氏とも会派離脱に伴いもっともな理由を用意していますが、一方で「都民ファースト」の看板を借りて選挙に勝利しているという事実から目を逸らしています。

この点を無視するわけにはいきません。

都議選が行われたのは今年の7月です。今から数えてたった二カ月ほど前の出来事です。しかし一方で都民ファーストの会の結成は昨年の9月であり、都議選までには約9か月の期間があります。

両氏の不満を聞けば、それが都議選後に急に湧き出てきたものでないことが分かります。上田氏の「自由を守る会」が解散に追いやられたのは4月です。また音喜多氏の重視する都民ファーストの会の情報公開やガバナンスが明朗であった時など一度としてありません。

たった2カ月の熟慮が、9カ月の積み重ねに勝ることはありうるのでしょうか。

小池政治がひどかったのは今に始まったことではないのですが、結局、両氏とも都議の議席を守るため、都民ファーストの看板を利用する道を選んだのです。この点、言い逃れはできません。

劇薬を求めて副作用を受け入れぬ、は許されるのか

何を利用してでも勝つ姿勢は政治家にとっては必要なものなのかもしれませんが、そうであれば、その裏で失ったものから目を背けてはいけないはずです。

小池知事やその周辺の顧問団、あるいは都民ファーストの会によって失われたものを列挙しましょう。


・東京都の職員は仕事に対する尊厳を傷つけられ、長時間勤務により家族との団欒を奪われました。

・オリンピック関連では、周辺自治体をはじめとした関係者すべてに迷惑と負担を与えています。

・そして築地移転問題では、今もなお風評被害を放置し、水産業者を苦しめています。

豊洲に移転できなかったことで失われた富は幾らになるのでしょうか。

・百条委員会で疑われた人々の名誉はどう回復されれば良いでしょうか。

・議会が埒もない捜査ごっこにかまけてたせいで出来損なった数々の施策の責任はどうするのでしょうか。 

 

みんな小池政治が起こした損失であり、上田氏、音喜多氏はそれら議員という公的な立場から支えていたのです。これらは申し訳ありませんと謝って済む問題ではありません。
混迷する都政に目をつぶって都議選に挑み、結果として手に入れた議席の重みを直視していただきたい。小池政治という劇薬によって得た勝利の代償です。薬に副作用はつきものです。ましてや副作用の被害を受けるのが都民とあってはなおさらのことです。

前貸しした信用は少しずつきちんと返済してほしい

政治家にとって一番大事なことは信用でしょう。信用は金銭にもたとえられますが、今や両氏の信用はマイナスの側に大きく傾いています。

信用と金銭の例を続けさせてもらうならば、両氏の都民ファーストの会からの離脱は身の丈に合わない借金に苦しんだ末に不渡りを出したような状態です。その信用の出どころは小池政治という名の闇金融だったのですから返済に苦しむのは当然というべきです。

今さら両氏が口を酸っぱくして小池政治を非難しても何の意味もありません。そもそも、そんなところから信用を借りたほうが悪いのです。どんなに苦しても頼ってはいけないものに手を出したのです。

 やり直しはできる。

しかし身の丈に合わない借金をしてしまった人がやり直せない社会というのも筆者は好みません。
このような人々に対しては、利子の支払いを減免し本体のみを分割して返済していくように和解するのが通例です。それに倣って両氏も、都民から前借した信用という借金をきちんと分割返済していってほしいと筆者は願います。

派手にメディア受けを狙うのではなく、地道な活動で取り返していくのです。平坦とは程遠い道のりですが、ぜひやり遂げてほしい。

 

そもそも小池政治に騙されたのはこの両氏のみではありません。先の都知事選挙で投票した291万もの都民も結果的には失敗したのです。私はあの選挙に参加していませんが、私自身小池氏に投票してしまった可能性は十分にあります。それくらいひどい選挙でした。彼らの失敗をあげつらうだけでは何の解決にもならない。両氏の失敗を責めるならば、同様にこの291万人も責めなくてはならなくなります。

 

まだ働ける債務者が事業を投げ出すことは誰にとっても得にはなりません。
上田氏、音喜多氏ともまだ十分に働ける年齢であり、働く意志もあります。今から議員を辞職するというのは良い選択肢ではありません。また個人的な人間性を見ても、両者とも都政に対して真剣に向き合っているということは十分に伺えます。

今こそ真の情報公開を

ちなみに債務を負った事業主が信頼を勝ち得るもっとも確実な方法は、債権者のところに定期的に顔を出し事業内容の報告をすることです。

せっかく自由の身になったのですから両名とも、ネットなどを通じて双方向な情報発信に力をいれていただければと思います。厳しい言葉にも行きあたるかとは思いますが、無視をせず誠実に職務に取り組んでいただければ、いずれはそのような言葉も変わっていくのではないでしょうか。いずれにしろ、両氏は今まで語り合うこともできなかった有権者との話し合いに時間を割くべきだと思います。

逆に一番やってはいけないことの通例は債権者を無視することです。また上辺だけを取り繕い、派手に商売をしていると見せかけて他者を騙そうとする悪い債権者になることも望みません。

 

ともあれ、さしあたってお勤めご苦労様でした。
冷静になれるだけの休養を取った後、ご活躍での挽回を祈ります。

Schema of Shinzo Abe's letter from 17th September New York Times.

17th September. Shinzo Abe made a letter "solidarity Against the North korean Threat" at the New York Times.

 

In this letter, Abe insists that the international community is strongly solidarity and pressure must be exerted on North Korea. I focused on the subjects that Abe wanted to tell most to the people of the United States.

 

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Shinzo Abe letters

Abe repeatedly insisted that the international community should concertedly and strongly pressurize North Korea. There may be people who have the idea that there is another peaceful solution to this idea. But Abe talks about some failures of diplomatic history to North Korea and explains that solutions should not be taken any longer.

 

In the early 1990s, North Korea withdrew from the Nuclear Nonproliferation Treaty and the International Atomic Energy Agency. North Korea's nuclear issue will become full-fledged from here.

 

Japan, the United States and South Korea requested North Korea to denuclearize North Korea by constructing a light water reactor, providing heavy oil, and taking over the debts of North Korea as a substitute for " Prioritizing diplomacy" However, North Korea has been promoting uranium enrichment plan while receiving " compensation" of such exchange conditions.

 

Therefore, since 2003, the six-party talks including North Korea, Japan, the United States and South Korea plus China and Russia will begin. The main theme is denuclearization of the Korean Peninsula.

 

Among them, although North Korea promised denuclearization of the Korean Peninsula, it continued its nuclear development in the shade. And suddenly, North Korea conducted an underground nuclear test. North Korea continues to ignore the promise with the international community. North Korea's ballistic missiles are placing a heavy imminent threat to the international community.

 

Looking back on history, we can see that the military capabilities of North Korea are steadily becoming more sophisticated. The expansion of the military capabilities of North Korea, which began with the uranium enrichment plan, has now reached the point where it can be launched by mounting it on ballistic missiles. The peaceful response of the international community to North Korea was all in vain.

Abe is calling for strong sanctions on the international community not because he hates North Korea. Abe knows that the regime of this country is dishonest and cannot be trusted. Abe knows that dialogue diplomacy only increases North Korea.

 

I also agree with Abe. If Japan and the United States cooperate and face a strong attitude toward North Korea, the problem will be resolved.

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安倍総理がニューヨークタイムス紙に投稿した文書を図解してみました。

国連に参加するためにニューヨークへ赴いた安倍首相は、同時期にニューヨークタイムスに「solidarity Against the North korean Threat」と題した文書を寄稿しました。

 

この文書で安倍首相は、度重なる北朝鮮の挑発に対して、国際社会が強く連帯し圧力をかけなくてはならないと主張しています。

 

この文書には多くのメッセージがこめられており、それを一枚の図にすることは不可能でした。そこで筆者は、首相が米国の普通の人々にもっとも伝えたかったことにテーマを絞り安倍総理の寄稿を図解してみました。

 

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まず安倍首相は、北朝鮮に対して国際社会が強く圧力をかけるべきだと主張しています。

この考えに対し、平和的な解決方法が別にあるのではないかという考えを持つ人もいるでしょう。安倍首相は今までの北朝鮮外交の歴史を簡潔に述べ、その手段はもはや採るべきではないと諭しています。

 

1990年代初頭、北朝鮮核拡散防止条約国際原子力機関から脱退しました。ここから北朝鮮の核問題が本格化していきます。

 

これに対し、日米韓の参加国は、軽水炉の建設や重油の提供、北朝鮮の債務を肩代わりするなど、温和な「外交優先の姿勢」で北朝鮮に非核化を求めました。しかし北朝鮮はこうした交換条件の「ご褒美」を受け取りつつ、陰ではウラン濃縮計画をすすめていたのです。

 

そこで2003年より、北朝鮮と日米韓に加え、中国、ロシアを加えた六か国で北朝鮮の非核化をメインテーマとした六か国協議がスタートします。この中で北朝鮮朝鮮半島の非核化を約束していたにも関わらず、やはり陰では核開発を続けており、突如、地下核実験を実施し、事実上の核保有国と認められました。

 

北朝鮮は、国際社会との約束を無視し続けているのです。

 

さらには2017年9月、北朝鮮は弾道ミサイルを発射させました。

今や北朝鮮の弾道ミサイルは国際社会に重く差し迫った脅威としてのしかかっています。なにしろこれはアメリカやヨーロッパの国々までもが射程内に収められる飛距離を持っています。また化学兵器、あるいは核兵器すら搭載する能力をも保有しています。この兵器の能力をもって北朝鮮は国際社会を挑発し、今までのように利益を得ようと試みているのです。

 

歴史を顧みれば、北朝鮮の軍事能力は着実に高度化していることが見て取れます。ウラン濃縮計画から始まった北朝鮮の軍拡は、今やそれを弾道ミサイルに搭載して発射できるまでに至りました。北朝鮮に対して試みられた平和的な対応は全て無駄だったのです。

 

安倍首相が北朝鮮に対して厳しい対応を求めているのは、けっして彼が北朝鮮を憎んでいるからではありません。30年来の不誠実さからこの国を信用してはならないということ、対話は北朝鮮を増長させただけという歴史を知っているためです。

 

安倍首相がニューヨークタイムス紙に寄稿したのは、こうした事実を多くの米国人と共有し立ったからでしょう。筆者も同様に願ってやみません。日米が協力し、強い姿勢で北朝鮮に対応できれば、それは問題解決の大きな役割を果たすことになるでしょう。

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