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時事図解

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築地が豊洲に移る意味~三つの島と三つの道路~

「点と点を結んで面になる、情報と情報が組み合わさって知識となる」とは恩師が繰り返し言い続けていたことです。いま振り返ると、今まで筆者は築地のこと、あるいは豊洲のことを「点」という形でしか認識していなかったように思われます。

しかし先日、築地から豊洲までを実際に歩いてみたことにより築地や豊洲という「一つの地点」ではなく「東京の湾岸地帯」というものについて深く認識することができるようになりました。

また築地の関係者の方々のご厚意により様々な場所を見せていただいたという経験も生きております。その節は本当にありがとうございました。

その上で筆者が得た結論は、やはり中央卸売市場は豊洲に移転すべきだということです。

築地移転問題の地理関係について

都民でない人間にとって、築地や豊洲という地名は聞いたことはあるものの、どこにあって位置関係がどのようなのか、なかなか把握しづらいところかと思います。

そこでまずは大まかな位置関係の説明をします。

単純化して言えば、築地のある「都心」の対岸に国際展示場で有名な「有明」があり、その間に「勝どき(月島)」「晴海」「豊洲」の三つの人工島が並んでいる。そういうふうに捉えてもらって問題ありません。

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まずはそれぞれの地区の特色を把握してみましょう。

都心部

まずはこの問題の東端にある「都心」です。便宜上都心と表現しましたが、「銀座」を中心とした一大経済圏と考えてください。この日本の中心部とも言うべき場所にはたくさんの飲食店が並んでおります。中には有名な「すきやばし次郎」のような高級店、あるいは小さな個人経営の店まで様々な店が軒を連ねているわけです。

こうした様々な店の食を支えていたのが「築地」です。「築地」抜きには「銀座」の発展は語れない、と言っても言い過ぎではないはずです。

ここが今回のポイントになる部分で「中央卸売市場には、街を発展させるパワーがある」という点をぜひ覚えておいてください。

勝どき

築地市場の脇にある「勝どき橋」を渡るとそこから「勝どき」という地域に入ります。ちょっと面倒なのですがこの「勝どき」地区の上に「月島」地区があります。

さらに次に紹介する「晴海」を含めたこのあたり一体は、かつてはすべて「月島」と呼ばれていました。そこで誤解を避けるため、ここではあえて「勝どき」という地名でこの地区を総称します。

このエリアの特徴は「晴海」や「豊洲」に比べて建築物同士の密度が高いことです。

このエリアは北から順に「佃」「月島」「勝どき」「豊海町」という町名が付いています。「佃」は高級タワーマンション街のさきがけとしても有名ですが、まだ下町の風情も残っている地区です。佃煮の由来ともなった地域と言えばイメージは掴めるでしょう。

その「佃」の南にあるのがもんじゃ焼きで有名な「月島」で、こちらも「佃」同様、昔ながらの風情のある街のなかに巨大なタワーマンションが立っているという光景が広がっています。ただこちらの方が若干下町の風情が濃い印象です。

そして「月島」の南にあるのが「勝どき」ですが、ここは都営大江戸線の開通に伴い「勝どき駅」ができたことにより人気が高まった地区です。大通りに面した区画では、たくさんのタワーマンションや大型マンションが立ち並んでいます。

最後に「豊海町」ですが、この区画は東京湾に張り出しているため、冷蔵倉庫などが数多く立ち並ぶ倉庫街になっています。

この「勝どき」は、ほとんどの地区が住宅地となっていることからも分かる通り、一通り開発の区切りがついていて生活感があるという印象です。

晴海

「勝どき」地区から朝潮運河を挟んだ向かいの島が「晴海」地区です。

この場所にはかつて東京国際見本市会場がありました。東京モーターショーコミックマーケットの会場として記憶されている方もおられるのではないでしょうか。

「東京国際見本市会場」が閉鎖し有明の「国際展示場」へと移った後、この地区は晴海アイランドトリトンスクエアを中心とした再開発が進められました。

晴海の北側は、学校や公園なのど文教あるいは文化施設が多く存在しています。一方で南側はほぼ手付かずの状態で空き地が広がっており、2020年東京オリンピックの選手村として利用されることが決まっています。オリンピックが終わった後は、選手村の設備を再利用して、住宅街として整備される予定です。

晴海地区は、今まさに再開発の真っ只中にあります。

豊洲

そして晴海地区の対岸が豊洲です。

豊洲新市場の話題ですっかり有名になってしまいましたが、豊洲地区は全体として斧のような形をしており、豊洲新市場はその持ち手の部分に存在します。豊洲新市場はあくまで豊洲の一部分でしかありません。

斧の刃の部分は新興住宅街としてすでに整備されています。「ららぽーと豊洲」があることでも有名で、住みたい街ランキングの常連地区となっています。

有明

そして都心の対岸にあるのが「有明」です。国際展示場に行った経験が在る方なら分かるでしょうが、全体としてはまだ開発のさなかという感じの場所です。次のオリンピックではこの「有明」に「有明アリーナ」が建設されることが決まっています。これと同様に有明の北側はスポーツとイベントの地として活用されるようです。

ちなみにフジテレビで有名なお台場はこの有明の南隣にありレインボーブリッジへと通じる道もあります。

 

都民ではない身からすると「銀座」から「有明」まで一直線で移動できるということは想像がつかなかったのではないでしょうか。実はそのあいだの距離は5km弱。歩いても大人の足で一時間弱でしかありません。

「築地」と「豊洲」に至っては直線距離で2.3キロメートルしかありません。移転するといっても極端に離れた場所へ移動するわけではないのです。

湾岸部の再開発の流れ

それではなぜ中央卸売市場は「豊洲」へと移転しなければならないのでしょうか。

そもそもこの地域は隅田川の河口にあたり、川の流れが運んできた土砂が堆積しやすい場所でした。そのため、江戸時代から川底を浚っては埋立地を作るという工事が延々と続けられてきています。

築地という地名も「地を築く」という由来からなっており、埋立地であることを意味しています。また「勝どき」「晴海」は明治時代に「東京湾澪浚(みおさらい)計画」によって作られた土地です。地名も、もともと「築島」と書いていたのがいつの間にか「月島」と変わったものです。

このように東京の歴史は湾を埋め立て、陸地を延長し発展してきた歴史なのです。この地域が現代になって再開発されようとしているのも歴史的には自然な流れです。

筆者が実際にこの地域を歩いてみた全体の感想なのですが、やはり都心に近いほうが人口も多く開発が進んでいる印象でした。それゆえ開発の流れは、北から南へ、そして西から東へ、人の居る方から居ない方へと進んでいます。

豊洲に中央卸売市場を置く意味

先程「銀座」と「築地」の関係性を紹介しましたが、中央卸売市場には街を発展させるパワーがあります。卸売市場があれば多くの人々が集まり、関連施設が建ち並びます。その証明が銀座の飲食店であり、より直接的には築地外市場ということになるでしょう。その賑わいは多くの人が知るところです。

しかし築地市場のある都心部は十分に発展し、一方で、市場の設備が拡張する余地があないほど手狭になってしまいました。

一方で湾岸部の再開発は未だ発展途上です。

そこで湾岸部に中央卸売市場を移動させれば、現代の食品流通に必要な機能を持った市場を作ることが出来るのと同時に人を集める大きな磁力となる。そういう考えに至るのは自然なことでしょう。

豊洲新市場の場所を見るとこれからの湾岸再開発のほぼ中心部にあり、大きな磁石となってくれることが十分に期待できます。

さらに豊洲ならではの大きな利点として、舟運に大きな可能性があることです。三方を水辺に囲まれた豊洲は船をつけるのにちょうどよい場所にあります。

元々、豊洲はガス工場の跡地です。そのガスの原料である石炭は船で運ばれていました。それだけ舟運の実績のある土地なのです。デメリットばかり語られがちですが、ガス工場があったということにも利点はあるのです。

なぜ舟運の可能性があることがそれほど重要なのでしょうか。

現代の東京では、都心部への荷物を運ぶのに、渋滞する道路を通るよりも運河を利用するほうがずっと早い可能性があるためです。

特に東京が江戸だったころは水運が非常に発展していたという事実があり、首都高の多くはかつての運河の上に建てられているほどです。つまり東京には舟運のための水路がすでに存在するのです。これを利用しない手はありません。流行りの言葉で言えばレガシーの活用というわけです。

豊洲を取り巻く三つの道路

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豊洲問題についてツイッター上で多くのコメントをしている建築家の片山恵仁先生は築地が都心に与える交通の負担について説明しています。

それによると築地には一日一万九千台もの車両が出入りし、都心の渋滞の一因を作っていました。豊洲への移転は、搬入搬出にかかるコストが削減できると同時に、都心の渋滞も緩和させることもできる施策でもあるのです。

また現在建設中の環状2号線もこうした都心の渋滞緩和策の一環なのですが、道路の一部が移転後の築地を貫く計画のため、築地が移転してくれないと道路を通せない状況です。

この環状2号線には5分おきにバスが運行される「BRT(バス・ラピッド・トランジット」の運用が予定されており、これにより自動車だけでなく、ゆりかもめ大江戸線などの通勤電車の混雑解消に役立つことが期待できます。

しかし築地移転が延期されてしまったことにより、環状2号線の工事も延期となり、オリンピックまでに完成できないことがほぼ確定してしまいました。この点からも、築地の移転は待ったなしの状況であると言えます。

さらに豊洲に中央卸売市場を置く利点には、首都高の出入口が近くにあるという点も挙げられます。有明には首都高湾岸線が通っており、その出入口は豊洲新市場の真横にあります。これにより日本各地から商品を載せてきたトラックは都心を通らずに市場へと商品を搬入することが可能になりました。

築地移転は東京都心部の交通事情の改善政策でもあるのです。

なぜ豊洲でなければ駄目なのか

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築地移転問題では、豊洲東京ガスの跡地であったことから、土壌汚染について深刻な懸念が寄せられ続けました。

一方で、なぜ豊洲でなければ駄目だったのかは「他に候補地がなかった」などと消極的な理由が語られることがほとんどでした。

しかし、じっくりと地理を観察してみると、豊洲への中央卸売市場の移転は都市計画の中の一環であり、重要な施策であったことが分かります。特に渋滞の解消に大きく寄与することは疑いようがありません。

さらになぜ豊洲でなければ駄目だったのかを突き詰めれば「中央卸売市場の持つパワーを湾岸再開発に生かすため」という戦略的な目的のためだということが分かります。築地を再整備してもこの効果は得られません。東京が発展していく上では、豊洲という土地に中央卸売市場があることは極めて重要なのです。だからこそ800億円もかけて土地を徹底的に浄化し市場を建設する意味があるのです。

その上で筆者が申し上げたいのは、東京、そして日本の発展にとって、現代的な衛生環境、流通を可能にする市場がこれから発展する土地にあるということは極めて重要なのだといういうことです。

科学除染によって豊洲は、おそらく東京湾岸部でもっとも清浄な土地となりました。都市計画に沿った交通動線が確立できることにより流通もようやく近代化します。ここに近代的な中央卸売市場があり、街の発展に寄与することが分かれば、この都市計画の流れは日本全国に波及していくでしょう。

十年後、二十年後を考えれば築地よりも豊洲のほうがずっと大きな可能性があるのです。

 これが筆者が豊洲移転に賛成する理由です。

 

<参考文献>

togetter.com

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