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戦前の市場制度~中央卸売市場法の成立前後~

前回の更新では、卸という商行為の基本的な役割を確認しました。

zukaiseiri.hatenablog.com

今回の記事は、より具体的に中央卸売市場がどのような役に立っているかを解説します。

日本の中央卸売市場は独特のもの

実は日本の中央卸売市場制度は世界でも珍しく、同様の制度は韓国と台湾にしかないそうです。どちらもかつて日本が統治していた国です。その特色は市場内の卸売業者に対する拘束の強さです。

卸売市場では、主に集荷を担当する卸売業者(一次卸)と、この卸売業者から購入し、小売などに向けて再販売をする仲卸(二次卸)とがあるのですが、日本の中央卸売市場ではこの卸売業者に対する締め付けが大変に厳しいものになっています。具体的に言うと、原則的に卸売業者は法律で定められた手数料でしか商品を売ってはいけないことになっており、自由に値付けができないのです。

なぜこれほど卸売業者に対して拘束力が厳しいのか、そしてそれは何のために行われているのか。それを理解するには、卸売市場法の前身にあたる戦前の中央卸売市場法の成立前後の事情を知る必要があります。

 中央卸売市場誕生のきっかけは都市の発達

公設の卸売市場を作ろうという議論は、明治時代の後期から一部の有識者の間で行われておりました。まずは「都市市民に食品を効率よく行き渡らせよう」という社会運動家、「都市の衛生のために市場を管理したい」と考える内務省、「無駄の多い取引を統制したい」と思う農商務省など、様々な意見を出していました。

 日露戦争後の好景気によりインフレが発生すると、市場問題はさらに深刻になっていきました。インフレにより物価が上昇し続けるのですが、庶民の給与はそれほど上がらず、食料の値段が庶民の家計に重くのしかかるようになったのです。

一方で日本は近代工業化の途上にあり、引き続き都市には人が集まり続けます。食料生産に携わらない都市市民のために食料品を供給することが行政にとって急務となりました。

当時の流通機構はまだ未熟でこれらの需要に応えることができませんでした。

米騒動がおきる

その象徴的な事件が1918年に起きた米騒動です。インフレが発生する中、シベリア出兵が発表されて米相場が一気に急上昇します。相場の上昇を見た各地の米問屋は米の買い占めや売り渋りをし、主食である米が庶民に行き渡らなくなってしまいました。そして富山県の魚津で女性たちが役場に集まり窮状を訴えたことを新聞が報じると、全国でも同様の騒ぎが発生し一大事件となりました。これが1918年の米騒動です。

この事件をきっかけに、公設市場への議論は一気に前進します。1923年に<中央卸売市場法>が成立し、27年に京都市を皮切りに日本各地に中央卸売市場が誕生しました。

中央卸売場法の成立により何が変わったのか。

最初にお断りしておくと、ここからの解説はかなり時間のスケールを大きく取ったものであることをご了承下さい。なぜかと言えば流通というものは実業だからです。流通の内容を一日でがらっと変えることは不可能です。また地域差もあります。

 ただし中央卸売市場法の成立の前後で、日本の都市の生鮮食料品流通は明らかに変わりました。その大枠は「問屋市場」から「中央卸売市場」への変化といえます。

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問屋市場とは

明治から大正時代にかけての生鮮食料品の流通の主役は、問屋と呼ばれる現代で言うところの卸売業者たちでした。彼らが各地の生産者と結びつき、東京や大阪といった都市圏に生鮮食料品を供給する役割を担っていました。

しかしこの問屋市場流通には様々な問題がありました。そこで行政がこれら問屋を「統制・組織化」しようとしたのが中央卸売市場法の趣旨なのです。

問屋市場流通は何が問題だったのでしょう?

◆主に統制面での問題

・不合理な取引

まず何よりも問題視されたのは、問屋の不合理な取引形態でした。

問屋にとって最も重要な作業は、多者に先駆けて商品を集めてくること(荷引き)です。そのためには、生産者に賄賂を渡したり(袖の下取引)、生産にかかる費用をあらかじめ貸したり(前貸し金)、生産者を回って盆暮れの挨拶をする業務(山歩き)があったりと、とにかく不合理な金銭や物品のやりとりが多々ありました。

これらにかかる費用は商品代金に上乗せされてしまいます。ただでさえインフレが進む中、このような不要コストは誰からも問題視されていました。

・差益本位の取引

このようにコストを掛けて商品を集めている以上、問屋が利益を生むには、できるだけ「安く買って高く売る」ことが重要になります。たとえ生産者であっても物を知らない田舎者が売りに来れば不当に値切ったり、あるいは新参者の小売業者には高くふっかけたりと、不公平な取引がまかり通っていました。

このような行為は、社会全体から見れば価格を不当に歪めて効率的な流通の阻害要因でしかありません。それゆえ公正で公平な取引が望まれていたのです。

◆主に組織面での問題

・私設市場の限界

現在の言葉で言うならば私企業である問屋が用意する市場ですので、資金面には自ずと限界があり施設は劣悪でした。市場の敷地はただでさえ狭く、そこに少しでも多くの商品を並べようとするため大変に不潔でした。人一人が通るのがやっとだったという報告もあります。

中央卸売市場法が施行される以前はこのような市場が乱立していたのです。前回に紹介した「取引最小化の原理」からすれば無駄の多い流通と言えました。

・経営と取引の未分離

問屋市場は、一つの問屋で営まれることもあれば、複数の問屋が組合を作って営まれるものもありました。施設ですから使用する際にはルールを定めなくてはなりません。ところが経営している本体が施設の運営をしていると、儲けのためにこの組織内の内規を平然と無視するようになります。

現代でも、たとえば築地市場では本来割り当てられた区画以上に通路にはみ出して冷蔵庫や生け簀を置いて営業している仲卸がたくさんおります。

経営と取引が分離してあっても長い年月を経ると決まりが守られなくなってしまうわけで、経営と取引の主体が一緒であれば、内規の空文化は急速に進行してしまうのです。

 中央卸売市場法はこれらの問題をどう対処したのか。

主に統制面での改善

・取引方法を合理化した。

中央卸売市場法の中心とも言うべき規定の一つがこれです。公平・公正な取引になるように取引方法をあらかじめ定めてしまったのです。

まずは委託販売原則と言って、生産者から商品を預かって代理に販売するのが卸(問屋)の仕事となりました。これにより買掛金や、過剰な荷引き競争、生産者差別が発生しなくなり、どんな生産者でも商品を卸売市場で販売することができるようになりました。特にこの法律では不正に対する処罰などは定められては居ないのですが、公設市場の中で、行政に監視されている中で不正をすることはほぼ不可能なのでわざわざ法律で定めることはしなかったようです。

また販売方式もセリ売りが原則とされました。卸と仲卸の相対取引では、その商品が幾らで売買されたのかが外からは分かりません。衆目の中でセリが行われ、落札金額が公表されるようになると、仲卸が再販売するときに不当に高い値段を釣り上げて販売することもできません。また生産者も自分の作物が幾らで売れたのかが分かるようになります。

場内現物取引の原則も定められました。卸売市場では商品はかならず実物を見ての取引となります。先に売買だけ成立させ、あとになって商品を渡される方式だと、必ずしも値段に見合った商品が渡されるとは限りません。また問屋流通のときは売掛が取引の主流でしたが、売掛では資金の回収ができない場合もあり、基本的に現金での即時決済が行われるようになりました。

・手数料制

以上のように中央卸売市場法では透明性の高い、公正・公平な取引方法が定められましたが、さらに卸には販売に対する手数料を法令によって固定するという施策が取られました。これだけ取引内容が透明化し、さらにもらえる手数料が一定となると卸が不正を働く旨味はまったくなくなってしまいました。

ただし手数料が固定化されるということは収入の安定という利点もあります。手数料性は、ある面では取引に絶大な支配力を持つ問屋への懐柔策だったのではと私は考えています。

 ・主に組織の改善

・公設市場制

私設の市場では資本力の関係で、設備を十分に整えることができません。特に当時は都市の発展のさなかであり、効率的な市場が必要でした。

中央卸売市場を作ろうという議論の中で公設か私設かは意見の別れる問題でしたが、最終的に中央卸売場は公設とすることが定まります。公設することにより大きな資金を投入することができ、設備の整った清潔な市場を作ることが可能になるためです。

また公設市場の利点はその信用力にもあります。

行政の作った市場だからこそ、公正、公平に品物を扱ってくれるだろう、新参者でもきちんと取引してもらえるだろうという信用が担保され、多くの人々を集めることができます。人々が集まれば集まるほど、流通の効率は高まり商品の価格を安定させることができるのです。

・一地区一市場制

さらに強力な市場統制がこの一地区一市場制です。つまり一つの地域に公設の市場一つ以外の市場の建設を認めないという方針です。法律の中にも他の市場の閉鎖を命じる権限が盛り込まれるなど、現代でしたら独占禁止法と矛盾する内容です。

これは明らかな民業圧迫ですが、「取引最小化の原理」を働かせるなら、これは正しい方法です。

こちらも様々な議論があったようですが、当時、すでに一地区一市場状態だった地方市場の方が売上が安定していることが実例として上げられ、最終的にはこの方針が定まりました。

もっとも重要な点はそれまでの問屋を内包したということ

中央卸売市場法の成立により、それまで流通を支配していた問屋は自前の市場を閉めなくてはいけなくなりました。先程も指摘した通りこれは明らかな民業圧迫です。

それに対する補償の代わり用意されたのが新たな市場参入への優先権でした。

中央卸売市場法の運用では、問屋が行政の補償を受けずに自らの市場を閉めた場合に限り、流通販路を独占する市場への参入に優先権を与えるようにしたのです。

問屋は経営の自由を手放すことになりますが、代わりに安定した経営を手に入れることができるようになります。これは大きなメリットです。

改革に反対するのは決まって既得権益者です。この既得権益者の機能を認め、新しい組織に内包するという発想は、公平という観点では問題がありますが、現実的な政策としては有用でしょう。

また当時からすでに問屋には零細な問屋と巨大な問屋の二分化が起きていたのですが、このうち零細な問屋は常に資金繰りが厳しく不安定な経営をしていました。このような零細な問屋は自社の権利を新しくできる卸会社の株に変え、新たにできる卸売会社の一員として吸収されたり、株の権利だけを持ちつつ仲卸になったりしました。

この法律には零細な問屋に対する救済策という一面もあり、柔軟な法律運用がなさたと言えるのではないでしょうか。 

中央卸売市場法の評価

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中央卸売市場法は、市場を協力に統制し、特に流通の要である卸を組織化し管理するという、自由経済に反するような法律です。しかし法律や政策は結果がこそが重要だと私は考えます。

この中央卸売市場法はその後、戦中戦後の統制経済でいったん無効化されますが、その精神は後の卸売市場法に多くの面で受け継がれています。

この中央卸売市場がないアメリカなどでは、生産者も小売業者も統廃合を繰り返し、巨大企業として社会に大きな影響力を与えるようになっています。このような流通もある意味では合理的なのかもしれません。しかし社会の豊かさとは何かと考えたとき、選択肢の多さという評価方法を取れば、アメリカの流通は豊かとは言い難いです。またアメリカ経済の競争の激しさ、Winner-take-all(勝者総取り方式)というようなやり方が日本人の気質に合うのかといえば私は疑問を覚えます。

中央卸売市場法はそう言った意味で日本人の気質に合った法律だったのではないかと私は考えます。

中央卸売市場法のもっとも重要な点

中央卸売市場という仕組みは、大正から昭和初期の日本の近代化、都市化という時代の流れが必要としたものでした。都市の膨張に対し、生鮮食品をどう流通させるかという課題に対して当時の人々が真摯に取り組み、様々な折衝を経て生まれたものです。

特記しておきたいことは、この法律は一部の知的エリートが頭のなかで生み出したのではなく、様々な人々が流通の実態をつぶさに観察し、インフレや都市の膨張といった当時の社会問題に真正面から取り組み、意見を戦わせて成立したものだということです。

その流通の仕組みは戦後も生き残り、日本の発展に少なからぬ貢献をしました。この法律の持つ構想が正しかったことが歴史によって証明されたのです。

むろん、この仕組みが今後の「人口が減り続ける日本」においても有用かどうかは議論すべきでしょう。しかし今まで日本の流通を支えてきてくれたこの仕組みの意味や成立の背景を知らずに単に卸売市場廃止論を唱えるのは、安易にすぎると言わざるを得ません。

中央卸売市場法は、当時の社会問題に対しての流通のグランドデザインだったのです。

卸の社会的役割の基本

第四回専門家会議の仲卸の不規則発言により、築地市場の事業者に対する嫌悪感が私の周囲では多く聞かれるようになりました。

その関連からか「もう市場は要らないんじゃないか」という、いわゆる市場不要論まで流れだしており、私としては、その話題には待ったをかけたいなと思う状況です。

じつは私自身も流通論を学ぶまでは「ネット通販のような直接取引が増えれば市場は不要なのではないか」という意見を持っておりました。しかし、色々学んだ結果、やはり卸売市場は必要なのではないかという意見に変わりました。

そこで今回は卸売市場の社会的な意義について図解したいと思います。

卸の普遍的役割と卸売市場の社会的意義について

TVなどで築地市場移転の議論がなされるとき、著名人の中にも「そもそも中央卸売市場が必要なのか」と仰る方がおられます。私の記憶では橋下徹さんや堀江貴文さんなどが仰っていたと思います。

これらの方々が本気で市場を不必要と考えているかまでは分かりませんが、卸売市場の取扱高は減少しており、存在感が薄くなっていることは事実です。

しかしそもそも卸売市場がなければ、日本の流通は大変非効率なものになってしまいます。中央卸売場を公設する意義は今でも十分にあるのです。

今回、この問題を解説するにあたり二つの段階に分けようと思います。

1、卸という商行為について

2、中央卸売市場の役割

一時期は流通の中抜きがもてはやされたこともありました。

しかし、現状やはり卸という機能は流通の中で必要とされています。まずはその機能の確認です。

さらに卸売市場という場を公が用意するのには理由があるのだというふうに話をしていければと思います。

卸とは何か

そもそも流通とは何でしょうか。ここでは大まかに「生産者から消費者まで商品が行き渡る経路」というふうに定義付けをします。

 

・生産者 → 消費者

 

しかし普段私達が買い物をしていても、商品を自ら作って売っている店というのはそう多くありません。工業生産品はだいたいそうですし、食料を売る店にしても産地直営店でもなければ、原料から全て自前で用意する店はそうそうありません。

なぜ生産と販売が分かれているのでしょうか。

それは私たちは「多くの商品の中から自分の気に入ったものを選び、できれば同じ場所で一気に買いたい」というふうに考えているからです。

この消費者の要求は多くの生産者にとっては難しいものです。なぜなら生産者の多くは単一の商品しか持っていないからです。

そこであちこちの生産者から商品を集め、店先に商品を並べて消費者に販売するものが現れます。これが小売業者です。

 

生産者 → 小売業者 → 消費者

 

ところで生産者も小売業者も無数に存在しています。

全ての生産者と全ての小売業者が連絡を取りあい、商品を取引することは物理的に可能でしょうか?

まず無理なことだと思われます。そこで卸が必要になってくるのです。

卸は生産者と消費者のギャップを埋める存在

そもそも生産者と小売業者が直接取引をするのは無駄が多いのです。

生産者は基本的に同一商品を大量に製造する能力には優れていますが、それを小分けにして発送する能力は持っていません。

つまり生産者は基本的に[少品種大量生産]という性質を持っているのです。

一方で、小売業者はできるだけ多くの品物を揃えたいと考えています。たくさんの品物があればそれだけ多くの集客を期待できるからです。

そのためには数十社、あるいは数百という数の生産者と交渉をせねばならず、それでは時間が幾らっても足りません。また小売業者の商品の売れるスピードは、生産者が商品を製造する量と速さに比べれば、少量かつ、ゆっくりとしています。

小売業者は[多品種小量販売]という性質を持っているということです。

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以上のように生産者と小売業には大きな隔たりがあるのです。それゆえ、この二者の取引を仲立ちする存在があると便利です。それが卸という商行為であり、それをするものを卸売業者(問屋)と呼びます。

 

生産者 → 卸売業者 → 小売業者 → 消費者

 

取引最小化の原理について

先程の卸の役割をより具体的に見てみましょう。

たとえば、世界に生産者が3社、小売業者が4社しか存在しなかったとします。これらがそれぞれと取引をすると合計12回の取引が行われます。

 

生産者3社 × 小売業者4社 = 12取引

 

ところが、ここに卸業者が1社仲立ちに入ると取引総数は7回で済みます。

 

(生産者3社 × 卸1社) + (卸1社 × 小売業者4社) = 7取引

 

生産者も消費者も卸1社と取引をすればよくなるため負担が軽減され、本来の業務に集中することが可能になります。また社会全体で見れば、取引総数の減少はそれだけコスト削減に繋がっているといえます。

このように卸が取引の仲立ちをすることによって取引総数が減る現象のことをを「取引最小化の原理」といいます。流通の中で卸が必要とされる大きな意義になります。

卸には様々な役割がある

卸があることによって流通に掛かる負荷が減ることは前述のとおりです。しかし卸の役割はそれだけではありません。

①調達・販売機能

生産者にとって、卸業者は自分の代わりに商品を販売してくれる代理店のような存在です。一方、小売にとっても自分の代わりに様々な商品を欲しい分量で調達してくれるエージェントでもあります。

たとえば、規模の小さな小売が大企業と直接取引をすることは大変に難しいことです。大企業は基本的に大きな単位でしか商品を販売していません。そこで卸がその商品を一度引取り、小分けにして小さな小売に再販売するのです。これにより生産者の商品が社会の隅々まで行き渡りやすくなります。

②物流

卸業者は生産者から商品を調達し、自らの倉庫で保管しつつ、注文のあった小売に商品を必要数抜き取り、あるときには加工し、包装して配送します。

卸がこのような作業をしてくれることで、小売業者は一回の注文で様々な商品を受け取ることが可能になります。また大きな倉庫を持たなくとも在庫を切らす心配が減ります。

卸による小売の在庫負荷の軽減は大変に重要な機能の一つです。もし卸がなければ小売はそれぞれにたくさんの在庫を抱えなくてはならなくなります。

そもそも商品というものはいつ売れるかランダムで一定ではありません。そのため、小売はある程度の商品在庫を持たなければならないのですが、もし卸がないため小売はある商品の在庫を10個抱えなければならなかったとしたら、卸が在庫機能を負担してくれることによって5個の在庫で済むようになるかもしれません。足りなくなったらすぐに卸から補充すれば良いからです。

もしこうした小売が10社あったとしたら、卸が存在することにより小売から50個分の商品の死蔵リスクが減り、さらにその分倉庫の空きが増えることになります。これを「不確実性プールの原理」と呼びます。

③金融・危険担当

もし生産者が直接消費者と取引をする場合、消費者がその商品を買ってくれるまで生産に投資した資金が回収できません。しかし卸が生産者から一括して商品を買ってくれることにより、生産者はすぐに資金を回収し次の生産サイクルに入ることができるようになります。

つまり卸が生産者の販売リスクを肩代わりしているのです。この機能により生産者は安定した商品生産が可能になるのです。

④情報提供

卸は大量の商品を扱っているため市場の状況を俯瞰的に見ることが可能です。いま市場ではどのような商品が流行っているのかを概観し生産者に伝えることで、生産者がよりよい商品開発をすることが可能になります。

また商品の詳細を生産者に代わって小売に広報することもあり、卸は商品そのものだけではなく情報の仲介も行うのです。

 

以上が卸の流通における主な役割と言われています。

卸とは流通の緩衝材である

[少品種大量生産」の生産者と[多品種少量販売]の小売との間には埋めがたいギャップが存在します。卸はその間に立ち、一定のリスクをとることで二者の間の緩衝材(バッファ)の役割を果たします。

卸がなければ流通は大変に不安定なものになってしまいます。卸とは生産者と小売業を円滑につなぐための緩衝材なのです。

 

[次回のための補足]

とはいえ筆者自身もゆくゆくはこの卸の存在は小さくなっていくのではないかと思っております。一番の理由は生産者、小売ともに統廃合を繰り返して徐々に総数が減ってきているからです。

取引に関わるプレイヤーが川上でも川下でも減れば、同時に卸も減ってしまうのは自然の摂理なのでどうしようもありません。なにより「取引最小の原理」の働きが弱くなってしまえば、その分だけ卸の存在意義が薄れます。

実はこのことは50年以上前に書かれた林周二の『流通革命』から指摘があります(問屋不要論)。この本は非常にインパクトを与えたため、今でもこの予言が正しかったどうかの議論がつきませんが、生産者、卸、小売の総数が当時に比べると減ったのはまぎれもない事実です。

強調しておきたいのは、卸売市場の議論でもこの流れは意識しなければならないということです。

卸売市場も卸の一種です。卸売市場の扱う商品は基本的に生鮮食料品であり、川上、川下は他の業種よりも零細な企業であることが多いのは事実です。しかし他の商品と同様の変化が卸売市場の川上、川下で起きているのも事実であり、卸売市場内部の業者も今まで同様の商売を続けることは難しくなってきているはずです。

卸売市場がただ流通の中継ぎとしての役割を果たしておけば良い時代はすでに終わっているのではないでしょうか。

Kindle出版をしました。「1時間でだいたい分かる。築地問題の話を図解しました。」

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

さて、元旦の今日、今まで書き溜めていた内容を元にKindleで出版をいたしました。

この2か月、活動してないような感じでしたがずっとこれをやっておりました。

 

1時間でだいたい分かる。築地問題の話を図解しました。 | 高橋洋介 | 実践経営・リーダーシップ | Kindleストア | Amazon

 

それにしても。なぜ選んでもいない、実践経営・リーダーシップの棚に置かれているのでしょうか。直し方が分からない。

さてこの本ですが、本来は無料で配布するつもりでおりました。

ところが、いざ登録するとなったときに無料キャンペーンは5日間ということがわかりまして、まあしょうがないかと諦めました。

本の値段につきまして

そういうわけでできるだけ多くの人に手にとっていただきたいとは思うのですが、なぜ最安値の99円でなく250円という価格設定にしたかについてご説明します。

AmazonにはKDPセレクトという制度がありまして、有り体に言えば印税70%の代わりにAmazonのKindleUnlimitedに登録しますよ、という制度です。

KindleUnlimitedは、会員制の図書館みたいなもので、月額980円で登録されている本が読み放題です。

99円の場合もKDPセレクトに登録することは可能です。しかし印税は35%しかもらえません。

無料で配布すると言ったくせにやっぱりお金が欲しかったのかと批判を受けそうですが、実はこれには理由があります。

商売をやっている方はご理解しやすいかと思うのですが、安い商品につくお客は、有り体に言って質が悪い。そもそも本当に買うつもりがあるなら代金が100円だろうが250円だろうがあまり関係はないでしょう。

99円の35%ですからまあ印税34円でこうしたお客の相手をするのはいくらなんでも割に合わないなと思い、70%の印税がいただける最低限の250円という価格にいたしました。

本当はこういうのは無料で配りたいのですが、プラットフォームを間借りしている身ですので、可能な限りの落とし所だと思います。

できるだけ皆さん、無料で読んで下さい。

 とはいえ目的は知識の普及ですから、無料で読めるよう、1月1日の17:00から5日間、無料キャンペーンを実施します。これは90日に1度のキャンペーンですので次やるとしたら4月になります。

 

またAmazonのKindleUnlimitedを利用すれば、無料で読んでいただくことが可能です。

KindleUnlimitedは一ヶ月の無料キャンペーンがありますのでそちらを利用していただけば、無料で読んでいただくことが可能です。

ただ、継続して課金してしまいますので、その意志のない方は早めに解約してください。解約しても、一ヶ月の無料キャンペーンの権利は継続されます。

なぜこの本を出版するに至ったか

ブログやツイッター上で発言することだけが、意見をいうことではないと思ったからです。短文のやり取りでは全体像を掴めません。

また、やはりネット上の交流は同じ意見の者同士で限られていることも問題だなと感じていました。

まとまった形で発表することで、様々な属性の人に自分の意見を言うことができたと思います。応援もあれば批判もあるでしょう。でも、それもまとまったレポートがあればこそです。

 

今回私は、特に権力もコネもない一個人として出来る限りのことをしたつもりです。

 

補足

築地の写真の中に一枚だけ自前の写真ではなく、フリー素材を加工して使用しております。

築地の床の穴の写真がそれです。自分でも撮影はしてあったのですが、良いのが無かったので。

特に論旨に影響はないかと思いますが、一応ご報告まで。

築地が豊洲に移る意味~三つの島と三つの道路~

「点と点を結んで面になる、情報と情報が組み合わさって知識となる」とは恩師が繰り返し言い続けていたことです。いま振り返ると、今まで筆者は築地のこと、あるいは豊洲のことを「点」という形でしか認識していなかったように思われます。

しかし先日、築地から豊洲までを実際に歩いてみたことにより築地や豊洲という「一つの地点」ではなく「東京の湾岸地帯」というものについて深く認識することができるようになりました。

また築地の関係者の方々のご厚意により様々な場所を見せていただいたという経験も生きております。その節は本当にありがとうございました。

その上で筆者が得た結論は、やはり中央卸売市場は豊洲に移転すべきだということです。

築地移転問題の地理関係について

都民でない人間にとって、築地や豊洲という地名は聞いたことはあるものの、どこにあって位置関係がどのようなのか、なかなか把握しづらいところかと思います。

そこでまずは大まかな位置関係の説明をします。

単純化して言えば、築地のある「都心」の対岸に国際展示場で有名な「有明」があり、その間に「勝どき(月島)」「晴海」「豊洲」の三つの人工島が並んでいる。そういうふうに捉えてもらって問題ありません。

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まずはそれぞれの地区の特色を把握してみましょう。

都心部

まずはこの問題の東端にある「都心」です。便宜上都心と表現しましたが、「銀座」を中心とした一大経済圏と考えてください。この日本の中心部とも言うべき場所にはたくさんの飲食店が並んでおります。中には有名な「すきやばし次郎」のような高級店、あるいは小さな個人経営の店まで様々な店が軒を連ねているわけです。

こうした様々な店の食を支えていたのが「築地」です。「築地」抜きには「銀座」の発展は語れない、と言っても言い過ぎではないはずです。

ここが今回のポイントになる部分で「中央卸売市場には、街を発展させるパワーがある」という点をぜひ覚えておいてください。

勝どき

築地市場の脇にある「勝どき橋」を渡るとそこから「勝どき」という地域に入ります。ちょっと面倒なのですがこの「勝どき」地区の上に「月島」地区があります。

さらに次に紹介する「晴海」を含めたこのあたり一体は、かつてはすべて「月島」と呼ばれていました。そこで誤解を避けるため、ここではあえて「勝どき」という地名でこの地区を総称します。

このエリアの特徴は「晴海」や「豊洲」に比べて建築物同士の密度が高いことです。

このエリアは北から順に「佃」「月島」「勝どき」「豊海町」という町名が付いています。「佃」は高級タワーマンション街のさきがけとしても有名ですが、まだ下町の風情も残っている地区です。佃煮の由来ともなった地域と言えばイメージは掴めるでしょう。

その「佃」の南にあるのがもんじゃ焼きで有名な「月島」で、こちらも「佃」同様、昔ながらの風情のある街のなかに巨大なタワーマンションが立っているという光景が広がっています。ただこちらの方が若干下町の風情が濃い印象です。

そして「月島」の南にあるのが「勝どき」ですが、ここは都営大江戸線の開通に伴い「勝どき駅」ができたことにより人気が高まった地区です。大通りに面した区画では、たくさんのタワーマンションや大型マンションが立ち並んでいます。

最後に「豊海町」ですが、この区画は東京湾に張り出しているため、冷蔵倉庫などが数多く立ち並ぶ倉庫街になっています。

この「勝どき」は、ほとんどの地区が住宅地となっていることからも分かる通り、一通り開発の区切りがついていて生活感があるという印象です。

晴海

「勝どき」地区から朝潮運河を挟んだ向かいの島が「晴海」地区です。

この場所にはかつて東京国際見本市会場がありました。東京モーターショーコミックマーケットの会場として記憶されている方もおられるのではないでしょうか。

「東京国際見本市会場」が閉鎖し有明の「国際展示場」へと移った後、この地区は晴海アイランドトリトンスクエアを中心とした再開発が進められました。

晴海の北側は、学校や公園なのど文教あるいは文化施設が多く存在しています。一方で南側はほぼ手付かずの状態で空き地が広がっており、2020年東京オリンピックの選手村として利用されることが決まっています。オリンピックが終わった後は、選手村の設備を再利用して、住宅街として整備される予定です。

晴海地区は、今まさに再開発の真っ只中にあります。

豊洲

そして晴海地区の対岸が豊洲です。

豊洲新市場の話題ですっかり有名になってしまいましたが、豊洲地区は全体として斧のような形をしており、豊洲新市場はその持ち手の部分に存在します。豊洲新市場はあくまで豊洲の一部分でしかありません。

斧の刃の部分は新興住宅街としてすでに整備されています。「ららぽーと豊洲」があることでも有名で、住みたい街ランキングの常連地区となっています。

有明

そして都心の対岸にあるのが「有明」です。国際展示場に行った経験が在る方なら分かるでしょうが、全体としてはまだ開発のさなかという感じの場所です。次のオリンピックではこの「有明」に「有明アリーナ」が建設されることが決まっています。これと同様に有明の北側はスポーツとイベントの地として活用されるようです。

ちなみにフジテレビで有名なお台場はこの有明の南隣にありレインボーブリッジへと通じる道もあります。

 

都民ではない身からすると「銀座」から「有明」まで一直線で移動できるということは想像がつかなかったのではないでしょうか。実はそのあいだの距離は5km弱。歩いても大人の足で一時間弱でしかありません。

「築地」と「豊洲」に至っては直線距離で2.3キロメートルしかありません。移転するといっても極端に離れた場所へ移動するわけではないのです。

湾岸部の再開発の流れ

それではなぜ中央卸売市場は「豊洲」へと移転しなければならないのでしょうか。

そもそもこの地域は隅田川の河口にあたり、川の流れが運んできた土砂が堆積しやすい場所でした。そのため、江戸時代から川底を浚っては埋立地を作るという工事が延々と続けられてきています。

築地という地名も「地を築く」という由来からなっており、埋立地であることを意味しています。また「勝どき」「晴海」は明治時代に「東京湾澪浚(みおさらい)計画」によって作られた土地です。地名も、もともと「築島」と書いていたのがいつの間にか「月島」と変わったものです。

このように東京の歴史は湾を埋め立て、陸地を延長し発展してきた歴史なのです。この地域が現代になって再開発されようとしているのも歴史的には自然な流れです。

筆者が実際にこの地域を歩いてみた全体の感想なのですが、やはり都心に近いほうが人口も多く開発が進んでいる印象でした。それゆえ開発の流れは、北から南へ、そして西から東へ、人の居る方から居ない方へと進んでいます。

豊洲に中央卸売市場を置く意味

先程「銀座」と「築地」の関係性を紹介しましたが、中央卸売市場には街を発展させるパワーがあります。卸売市場があれば多くの人々が集まり、関連施設が建ち並びます。その証明が銀座の飲食店であり、より直接的には築地外市場ということになるでしょう。その賑わいは多くの人が知るところです。

しかし築地市場のある都心部は十分に発展し、一方で、市場の設備が拡張する余地があないほど手狭になってしまいました。

一方で湾岸部の再開発は未だ発展途上です。

そこで湾岸部に中央卸売市場を移動させれば、現代の食品流通に必要な機能を持った市場を作ることが出来るのと同時に人を集める大きな磁力となる。そういう考えに至るのは自然なことでしょう。

豊洲新市場の場所を見るとこれからの湾岸再開発のほぼ中心部にあり、大きな磁石となってくれることが十分に期待できます。

さらに豊洲ならではの大きな利点として、舟運に大きな可能性があることです。三方を水辺に囲まれた豊洲は船をつけるのにちょうどよい場所にあります。

元々、豊洲はガス工場の跡地です。そのガスの原料である石炭は船で運ばれていました。それだけ舟運の実績のある土地なのです。デメリットばかり語られがちですが、ガス工場があったということにも利点はあるのです。

なぜ舟運の可能性があることがそれほど重要なのでしょうか。

現代の東京では、都心部への荷物を運ぶのに、渋滞する道路を通るよりも運河を利用するほうがずっと早い可能性があるためです。

特に東京が江戸だったころは水運が非常に発展していたという事実があり、首都高の多くはかつての運河の上に建てられているほどです。つまり東京には舟運のための水路がすでに存在するのです。これを利用しない手はありません。流行りの言葉で言えばレガシーの活用というわけです。

豊洲を取り巻く三つの道路

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豊洲問題についてツイッター上で多くのコメントをしている建築家の片山恵仁先生は築地が都心に与える交通の負担について説明しています。

それによると築地には一日一万九千台もの車両が出入りし、都心の渋滞の一因を作っていました。豊洲への移転は、搬入搬出にかかるコストが削減できると同時に、都心の渋滞も緩和させることもできる施策でもあるのです。

また現在建設中の環状2号線もこうした都心の渋滞緩和策の一環なのですが、道路の一部が移転後の築地を貫く計画のため、築地が移転してくれないと道路を通せない状況です。

この環状2号線には5分おきにバスが運行される「BRT(バス・ラピッド・トランジット」の運用が予定されており、これにより自動車だけでなく、ゆりかもめ大江戸線などの通勤電車の混雑解消に役立つことが期待できます。

しかし築地移転が延期されてしまったことにより、環状2号線の工事も延期となり、オリンピックまでに完成できないことがほぼ確定してしまいました。この点からも、築地の移転は待ったなしの状況であると言えます。

さらに豊洲に中央卸売市場を置く利点には、首都高の出入口が近くにあるという点も挙げられます。有明には首都高湾岸線が通っており、その出入口は豊洲新市場の真横にあります。これにより日本各地から商品を載せてきたトラックは都心を通らずに市場へと商品を搬入することが可能になりました。

築地移転は東京都心部の交通事情の改善政策でもあるのです。

なぜ豊洲でなければ駄目なのか

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築地移転問題では、豊洲東京ガスの跡地であったことから、土壌汚染について深刻な懸念が寄せられ続けました。

一方で、なぜ豊洲でなければ駄目だったのかは「他に候補地がなかった」などと消極的な理由が語られることがほとんどでした。

しかし、じっくりと地理を観察してみると、豊洲への中央卸売市場の移転は都市計画の中の一環であり、重要な施策であったことが分かります。特に渋滞の解消に大きく寄与することは疑いようがありません。

さらになぜ豊洲でなければ駄目だったのかを突き詰めれば「中央卸売市場の持つパワーを湾岸再開発に生かすため」という戦略的な目的のためだということが分かります。築地を再整備してもこの効果は得られません。東京が発展していく上では、豊洲という土地に中央卸売市場があることは極めて重要なのです。だからこそ800億円もかけて土地を徹底的に浄化し市場を建設する意味があるのです。

その上で筆者が申し上げたいのは、東京、そして日本の発展にとって、現代的な衛生環境、流通を可能にする市場がこれから発展する土地にあるということは極めて重要なのだといういうことです。

科学除染によって豊洲は、おそらく東京湾岸部でもっとも清浄な土地となりました。都市計画に沿った交通動線が確立できることにより流通もようやく近代化します。ここに近代的な中央卸売市場があり、街の発展に寄与することが分かれば、この都市計画の流れは日本全国に波及していくでしょう。

十年後、二十年後を考えれば築地よりも豊洲のほうがずっと大きな可能性があるのです。

 これが筆者が豊洲移転に賛成する理由です。

 

<参考文献>

togetter.com

twitter.com


築地の現在地再整備計画を本気で考えてみました。

豊洲新市場と築地再整備の費用の比較をしようと思い色々調べていたのですが、反対派が「もし豊洲新市場の使用中止をしたらどうするか」のプラン、いわゆる対案が無いことが判明しただけでした。

もしも今から築地の再整備をするとしたらどのような計画になるのか。

これは築地移転問題において外せない要素だと思います。

そこで私が、反対派の主張をまとめて「築地現在地再整備計画」を形にしたいと思います。

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築地市場は仲卸のものではない~公設市場である意義~

平成21年2月に発行された『築地市場の移転整備「疑問解消BOOK」』という冊子があります。

築地市場の移転整備 疑問解消BOOK

この冊子を読みながらふと「築地移転は仲卸にとってはメリットはないな」と思いました。

この冊子では築地移転のメリットとして以下の3点を挙げています。(同書15P)

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お母さんのための社会問題講座~築地移転の歴史的経緯について~

本ブログでは今まで主に豊洲新市場の科学除染について取り上げていました。さしあたって、大まかな科学除染については説明できたのではないかと思われます。

残るは地下水管理システムについての説明ですが、こちらはまだ本稼働を始めたばかりですので、これは後回しにしたいと思います。

移転するかどうかのポイント 

最近では、豊洲新市場の建築上の機能評価に対しては、ある程度、関係者の同意がえられてきています。また土壌汚染についても移転延期が無条件で決定されるような大規模な汚染はまず見つからないだろうと予想されます。

そこで今後は豊洲に移転するか、築地を再整備するかという二者択一が迫られてくると思うのですが、その参考として築地の再整備の歴史ついて確認をしてみます。

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