豊洲市場を売ってワクワクするらしい駒崎弘樹氏へ。反論お待ちしております
豊洲市場売却するとワクワクする日本になる?
認定NPOフローレンス代表理事の駒崎弘樹さんが豊洲を売って奨学金の原資にしようという記事がありました。
ご本人も「昨今の豊洲問題のぐちゃぐちゃについては、よく分かりません。」と仰っているくらいにこの問題に興味が無いそうです。とすれば、いわゆる炎上商法というやつなのでしょうね。
本来まったくの無関係でありながら、半年ほどこの問題に関わっている筆者から見ても駒崎氏のこの記事は怒りが湧くものであり、移転問題の当事者の胸中は察するに余りあります。なぜ責任ある立場の人がこのような記事を上げたのか理解できません。
駒崎さんの論を簡単にまとめると「卸売市場というビジネスモデルが微妙になってきているので、豊洲市場を売って給付型の奨学金の原資にしよう」という主張なのですが、
まずは主だった点について反論します。
卸売市場というビジネスモデルは壊れているか?
これは豊洲市場に否定的なITコンサルタントの永江一石氏のブログが論拠のようです。
確かに彼の指摘するように確かに卸売市場での取扱量は年々減ってきています。しかし、それを根拠にして彼の主張する卸売市場不要論が成り立つかというと、それは勉強不足としか言いようがありません。
まず彼の指摘する冷凍品の取扱の減少ですが、そもそも日本の中央卸売市場制度は生鮮食品の流通のため、大正時代に誕生したものです。劣化しやすい生鮮品を効率的に供給するための制度ですので、元より冷凍品のような長期保存が出来て供給調整のしやすい食品流通は得意としておりません。
冷凍品は倉庫に一定期間保存できますので、工業製品のように安定した供給調整が可能であり、物流機能さえあれば卸売市場がなくともあまり問題がありません。冷凍品の場外流通が増え続けているというのは、このような市場の性質によるものです。「卸売市場の最大のライバルはニチレイ、マルハだ」などという話はこの種の議論では通説です。
しかし、野菜にしろ魚にしろ、産地、価値、収穫量が安定しない生鮮品を効率よく分配するためには売りたい人と買いたい人が卸売市場で集まって取引するやり方のほうが適しています。ゆくゆくはインターネットを通じた取引も可能になるかとは思いますが、現状そこまでには至っておりません。卸売市場というビジネスモデルが壊れているというならば、では現状の生鮮食料品の流通はどうするのかを合わせて語らなければ片手落ちです。今すぐに卸売市場は無くせないのです。
さらに築地に限って言えば、この市場は東京都の基幹市場として設定されており、他の市場へ商品を転送する機能も期待されています。
築地には全国から水産物が扱いきれないほどの量が送られてきます。他方、地方はそれらの商品を手に入れるのが難しいため、築地から商品を転送することで他の市場が成り立っているという側面があります。
誤解を恐れずに言えば、地方で生魚が安定して買えるのは築地のおかげなのです。
なぜ豊洲があれほど巨大な市場になったのかと言えば、この転送機能を強化するためでもあり、あの市場は関東一帯の物流拠点であるわけです。
巨大な冷蔵庫が必要なのも、転送する際に生じる商品の劣化を防ぐためでもあります。ちなみに築地では野ざらしで、管理が行き届いているとは到底いい難い。もしも取扱高が減っているからという理由だけで築地あるいは豊洲を縮小するとなると、困るのは他の地方市場なのです。市場を縮小しろという主張する人はなぜかいつもこのあたりの事情を考慮に入れていないので不思議に思っています。都のHPにも載っておりますが。
ぜひ再考いただきたいのですが、本当に卸売市場というビジネスモデルが壊れているのでしょうか。衰退しかけているからと言って失ってしまってよいものなのでしょうか。この卸売市場に支えられているのはなにも内部の業者だけではないのです。生産者や小売業者も中小になればなるほど市場への依存は高まります。
卸売市場は社会のインフラなのです。
余談ですが、駒崎氏もよく知らない業界を「明るい将来があるようにも思われません」と簡単に言ってしまうのは軽薄なご発言ではないでしょうか。私がよく知らない駒崎氏を「明るい将来があるようにも思われません」と言ったら失礼ですよね。
4370億円の売却益
そもそもこの数字はでたらめです。これは市場問題プロジェクトチームの小島座長が出した私案での数字であり、公的な積算根拠はなく楽観的な数字でしかありません。この私案はひどすぎるので解説する気にもなりません。
さらに問題なのは、豊洲の土地は本来、東京ガスが自身の再開発計画を泣く泣く諦めて都に売ったという経緯がある点です。
都は公益性を盾に半ば無理やり東京ガスから豊洲の土地を買ったわけですが、それを売却するのは控えめに言って地上げ行為のようです。そんなことが許されれば、今後、東京都の都市開発に協力しようという企業は金輪際現れないという点でも売却は有りえません。都政が停滞します。
やや本旨とは外れますが、私は豊洲市場に入場したただ一人の一般人でして、豊洲市場がいかに丹精込めて作られているかを実際に目の当たりにしております。豊洲市場は多くの人々が苦労して作りあげたものであり、それを軽々しく売るなどと言うのはどのような理由であっても到底許容できません。
この点、なぜ駒崎氏が豊洲市場を軽んじるような発言をしたのか、詳しい説明を求めたいところです。
東京とよす奨学金について
この辺りは専門ではありませんし、仮定の話をしても意味はないと思うのですが、どうにも納得行かないので続けます。
駒崎氏はこの都民にとって大事な資産である豊洲市場の売却益を給付型の奨学金にするという案を披瀝しておられます。太っ腹ですね。所詮他人の金ですものね、という感想しか湧きません。
豊洲市場に係る資金は市場会計と言って、厳密に言えば東京都の自由にできるお金ではありません。あくまで東京にある11の市場のためのお金です。ですからそれを教育目的に使用することそれ自体がありえない話ですが、どのような根拠があってのことか、ご反論をぜひ伺いたく存じます。
さらには、この奨学金の給付の仕方に疑問を覚えます。
まず、対象が貧困層に限られているということです。確かに貧困層の少年少女に就学の機会を与えるのは重要なことです。しかし全都民の財産を売ったお金を一部の属性の人々のみに給付することは不平等と言わざるを得ません。そもそもその線引きは誰が決めるのですか。
また駒崎氏は「11年間もの間、大学や専門学校等への進学を望む、貧困層の子供たち全員に給付型奨学金を提供し、大学授業料無償化を達成できる」と仰っていますが、逆に言えばたった11年しか保たない奨学金であり、特定の年代の子供しか利益を享受できないという意味で二重に不平等です。
確かに就学機会のない貧困層の中にはきちんとした教育を受けられれば成功する子供が一定確率いると思いますが、これも裏を返せばいくらお金を与えても無駄な子供も一定数いるということでもあり、公金である以上、効果の薄い投資をするのはいかがなものと思います。
こういう政策を「考えなしのバラマキ」と言うのではないでしょうか。どのような制度設計でこのような奨学金を企画したのか、責任ある説明を求めたいと思います。
安全なところから石を投げるな
豊洲市場が運営されれば、豊洲市場を利用する水産事業者の子供や孫へ富の再分配がなされることは疑いようもありません。結果的には地方の子供たちの就学機会が高まり、たった11年のバラマキよりもメリットがあるはずです。
また豊洲市場を建てた建築関係者にも子供が居るはずで、公共事業としては、11年の無差別給付金よりも筋の通った社会投資のあり方といえるのではないでしょうか。
駒崎氏の主張は、公共の財産をあぶく銭に変えるという類のものであり、私には到底許容できません。冒頭でも申し上げた通り、おそらく駒崎氏は炎上目的で、よく知りもしない問題にあえて無茶なことを書いたのではないかと思います。そもそもその点が私には許容し難い。
「炎上目的で一石を投じる」という言葉は大変に聞こえが良いですが、実際のところは「炎上目的だから」という言い訳を使って、安全なところから石を投げているに過ぎません。どんなに責められても発言した側の自らの虚栄心は満足できます。これを偽善と言います。それも己一人の満足しか満たない下等な偽善です。
一方で失っているものがあることも自覚していただきたい。
それは駒崎氏の周囲の人々の信頼です。ご本人は確信犯的に発言をなさっているようなのでどんな報いがあっても満足でしょうが、駒崎氏の周囲にいる方々は、何もやっていなくても同類として見られます。
昨今のSNS上での学生のバイト先での振る舞いが炎上するのが好例ですが、ネット上の炎上というのは、周囲の信頼を燃料にして燃え盛るものです。
今回の発言は、駒崎氏が主催するNPOフローレンスに務める方々をはじめ、他の活動で一緒に活動している方々の信頼をも失う行為です。責任ある組織の代表としてふさわしい態度とは到底思えません。
たとえば私も子どもの貧困問題には関心がありますが、もし興味を持った団体に駒崎の名前があったときは関わるのはよそうと思う程度には駒崎氏を警戒することにしました。意図的な炎上に巻き込まれるのはごめんだからです。多くの人が私と同じことを考えれば、本来の目的であろう子どもの貧困の問題解決すら容易に進まなくなるでしょう。本当にそれで良いのでしょうか。
駒崎氏の反論お待ちしております
まとめといたしまして、今回の駒崎氏の記事は、築地移転問題に関わった多くの人々を傷つけ、また本来の目的であろう子どもの貧困の解決にも結びつかない大変な悪手だというのが私の意見です。
駒崎氏からはぜひ反論をいただきたいと思います。
もっと端的にいうならば「発言した以上逃げるなよ」ということです。