杉並区の待機児童公園転用問題について~もう一度行政を話し合いの場に出す方法を考えた~
杉並区の公園転用は法律上「違法ではないが不適切」
行政と住民とは、もう話し合うことができないのでしょうか?
私はそうは思いません。
なぜなら杉並区の公園転用は実施を急ぎすぎたため、法律上「違法ではないが不適切」といった運用をしてしまっているからです。住民側がこの状態を認識し、行動を起こせば杉並区は再び説明会を開かざるを得なくなります。それも今度は一方的な「説明」ではなくきちんとした「議論」をすることができるはずです。
では杉並区は一体何を間違えてしまったのでしょうか。まずはその検証です。
公園転用の法的根拠について
そもそも公園は、都市公園法という法律により管理されています。
その中には「公園管理者は、次に掲げる場合のほか、みだりに都市公園の区域の全部又は一部について都市公園を廃止してはならない。(第16条)」という文章があり、本来、誰であろうと公園を何かに転用してはならないのです。
なぜ都市公園はこのように守られなければならないのでしょうか?
国土交通省が出している「都市公園法運用指針(PDF)」ではこのような理由が書かれています。少々長いですが引用します。
都市における緑とオープンスペースは、人々の憩いとレクリエーションの
場となるほか、都市景観の向上、都市環境の改善、災害時の避難場所等として機能するなど多様な機能を有しており、緑とオープンスペースの中核となる都市公園の積極的な整備を図るとともに都市住民の貴重な資産としてその存続を図ることが必要である。(都市公園の保存規定について(法第16条関係))
つまり、都市公園はさまざまな機能を持つ「都市住民の貴重な資産」であるから、簡単には廃止してはいけないというのがこの文章の主旨です。
しかし現実的にはどうしても転用が必要な場合だって当然あります。
その場合を規定したのが都市公園法第16条の「次に掲げる場合のほか」に当たる例外の規定についてです。
今回の保育園転用に杉並区が使った条文だけを抜き取ると、都市公園法第16条の1の「都市公園の区域内において都市計画法 の規定により公園及び緑地以外の施設に係る都市計画事業が施行される場合その他公益上特別の必要がある場合」という文章の「その他公益上特別の必要がある場合」が公園転用の法的根拠となります。
この「その他公益上特別の必要がある場合」については、運用指針でさらなる解説が加えられています。
「公益上特別の必要がある場合」とは、その区域を都市公園の用に供し
ておくよりも、他の施設のために利用することの方が公益上より重要と判
断される場合のことである。
その判断に当たっては客観性を確保しつつ慎重に行う必要がある。(都市公園法運用指針より一部抜粋)
公園を転用する方が公益にとって重要ならば転用してもいいが、その際には「客観性の確保」と「慎重に行う」ことが必要だと国交省は述べています。
特に注目してほしいのがこの一文の語尾「必要がある」の部分です。
中央省庁の出す運用指針は、法律ではないものの、法律に準ずる程度の効力があります。まして杉並区は行政組織ですから絶対に守らなくてはなりません。
杉並区が保育園建設のために公園を転用しようとするならば「客観性の確保」と「慎重な判断」が絶対の必要条件となるのです。
必要条件: 「客観性の確保」と「具体的な判断」
ところで「客観性の確保」と「慎重な判断」とは具体的には何をすれば良いのでしょうか。これは杉並区の松尾ゆり議員が、杉並区議会の本会議にて、一般意見を述べる際に説明してくれています。(該当部分にリンク)
それによれば「客観性の確保」については「この判断は、最も慎重に行わなければならず、その客観性を確保するため、あらかじめ公聴会を開き、真に利害関係を有するもの又は学識経験を有する者等から意見を聞く等が好ましい」と国交省監修の『都市公園法解説』という本に書かれているそうです。
また「慎重な判断」については昭和46年名古屋地裁の判例を援用できるそうです。
それによれば「ある土地の利用方法としてどちらがより公益性があるかを比較する場合、抽象的な事業の種類、性質のみでなく、「個別、具体的事業の公益性の事情を総合勘案したうえ比較して個別的、具体的に判定せられるべき」」とのことで、松尾議員の質問内容からすると、具体的なデータが必要らしいです。おそらく、誰にでもわかる形のペーパーを用意しろということなのではないでしょうか。(これについては確証までは得ておりませんが、私はこちらの条件をあまり重視しておりません。理由は後ほど)
以上の2点の条件を満たさないかぎり特例としての公園の転用は認められません。
国交省の想定する「客観性の確保」とは?
2つの条件のうちの「慎重な判断」については今回論じません。
なぜなら、この問題は待機児童の解決という明確な目標があり、行政ならばそれを肯定するためのデータを作るのは造作もないことだからです。
今回の論点は「客観性の確保」の方です。
先述した国交省監修の「都市公園法解説」には「客観性の確保」のやり方として、「あらかじめ公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識経験を有する者等から意見を聞く等が好ましい」とあるそうです。(伝聞形式なのは、この本を持っていないからです)
公聴会って何?
公聴会とは、その名の通り、公から意見を聞くことであり、身も蓋もない言い方をすれば、行政が判断が難しい問題について外部からのお墨付きを得るための意見聴取です。
地方自治体でこの公聴会を開く権限を持つのは地方議会の委員会だけです。(地方自治法第152条の2より)行政も特定の問題については公聴会を開くことが可能ですが、今回の公園転用では開催する権限はありません。
国交省が想定する「客観性の確保」のためのプロセスとは
したがって、今回の問題に関するプロセスで国土交通省が好ましいと考える地方自治体の「客観性の確保」のやり方を順を追って説明するなら以下のようになります。
- 行政が「公園転用」計画を議会に提出する。
- 地方議会の委員会が「公聴会」を開き、「真の利害関係を有する者」あるいは「学識経験を有する者」から意見を聴取する。
- 公聴会の意見をもとに委員会にて議員が「公園転用」を承認する。
- 本会議で、議会全体として「公園転用」を議決する。
すなわち「客観性の確保」は公聴会、そして議会という二重のロックによって担保するのが「好ましい」と国交省は考えているわけです。
「都市公園法解説」には地方議員についての言及はありませんが、公聴会を開く権限が地方議会の委員会以外に無い以上、地方議員もこの客観性の確保の重要な構成員であることには間違いありません。そもそも地方議員は選挙によって選ばれた人々ですから、その意味からも客観性の担保にはふさわしい存在です。
杉並区は「客観性の確保」をおろそかにした
では今回の杉並区の公園転用のやり方はどうだったのでしょうか?
今回、杉並区議会は緊急事態だったため、公聴会を行っておりません。(そもそも公聴会を開くだけの日数の猶予が無かった)
したがって「客観性の確保」を担っているのは区議会議員だけなのです。
そして区議会議員たちは「公園転用」には賛成しましたが、賛成派も反対派も住民との話し合いができていない点を問題視しており、賛成意見のほぼすべてに表現は異なるものの「住民との話し合い」が条件として盛り込まれていました。
だからこそ杉並区は住民説明会を行ったのです。それが区議会との約束だからです。
ところが杉並区の行った説明会は一方的なもので住民はいまだ納得していません。これで果たして区議会委員の求めた「話し合い」が行われたと言える状態なのでしょうか?
言えないと私は考えます。
議員の承認のみのシングルロックでは簡単に突破される
先ほど確認したように、杉並区議会は公聴会を開いての「客観性の確保」を行っていません。
普通ならば、公聴会で「客観性あり」と判断された事案を区議会議員の意見だけでひっくり返すことは容易なことではないでしょう。
(以下の文章は可能性が無いため打消し線を引いております)
ところが今回の件では、公聴会による裏付けがないために各議員は自らの判断だけで客観性についての態度を変えても何ら問題はありません。
思い出していただきたいのは「公園転用」の賛成意見には条件がつけられていたということです。この条件が満たされていないということは、議員たちは条件が守られていないことを理由に賛成から反対に転じることができるということです。
「杉並区の行う公園転用には待機児童の解消という大義があり、計画そのものには賛成した。しかし実施に際しては周辺住民への対話もおそろかであり、この条件を付けて賛成した区議会の議決をも軽んじている。目的はともかく、計画の実施に際し杉並区のやり方は一方的かつ乱雑であり、真に公益性を追求しているかも疑念が生じかねない状況である。このままでは計画の反対に転ずるのもやむを得ない」
このような声明が議会から出されたら、反論できる根拠を杉並区は持っておりませんし、都市公園法の運用の上でも公園転用ができなくなってしまいます。杉並区は住民を説得するための話し合いを再開するしかないのです。
ここが杉並区の「公園転用」の問題点なのです。
杉並区の公園転用は「客観性の確保」に問題があり、きわめて不安定な法律運用なのです。そこを突けば、行政の対応は変わらざるを得ません。
公園転用反対ではなく、話し合いの再開を訴えよう
したがって反対派住民がやることはただ一つです。
公園転用反対を訴えるのではなく、行政がきちんとした「話し合い」を行っていないという証拠を集めて各議員に働きかけることです。
幸い、境治氏のレポートやメディアの記事により、住民説明会の内容は周知されています。「住民に納得していただいた」と行政がいくら言ったところで説得力はありません。それに加えて充分な数の署名があれば証拠としては十分なはずです。
これは「保育園転用反対」の署名ではなく「実のある話し合い」のための署名ですから、保育園転用賛成派からも広く賛同を得ることが可能ではないでしょうか。
この問題は法律的に正しいかどうかではない。
以上は私の推論であって、それなりに論理性は確保しているつもりですが、法律論としては間違っているのかもしれません。
特に議会には一事不再理の原則というものがあり、区議会議員としては一度賛成した計画について反対と言いづらい部分はあるかと思います。
(追記:やはり一度賛成したものを反対に転ずるのは難しいようです。堀部やすし議員ありがとうございました)
冒頭に「違法ではないが不適切」というフレーズを使わせていただきましたが、これはけっして冗談のつもりではありません。
この件は前東京都知事の公金流用問題と似ている点があるのです。もちろん杉並区の待機児童問題への取り組みは立派でその点は比較にもなりませんが、法律論としてとらえると確かに「ただちに違法」とまでは言えないのは事実です。
しかし問題はそこではありません。
杉並区がきちんと住民を納得させていないことは紛れもない事実なのです。
だからこそ、反対派は「行政の説明が不十分であること、住民が納得できないないこと」を実証する必要があるのです。それに対して行政側も応える義務があるのです。そこをなあなあにして事態を進行させようとする態度は許されません。
逆に行政側がきちんと公園転用を納得できるだけの論拠を示せれば、反対派も譲れるところは譲るべきです。
このまま対立が続いて良いことは一つもありません。もう一度行政と住民が話し合い、譲れるところは譲り合い、納得できる結論を出してもらいたいと私は考えています。
まずは子供ファーストで考えてほしい
今回、杉並区の手法は住民の意向を無視した強引なものでした。反対運動が起きるのは当然のことと思います。
ですがその反対運動は徹底交戦とでもいうべき強固な反対ばかりで、かつ住民の統一した意思ではなく、個人個人での散発的な反対意見ばかりのように見受けられました。これも結果として対立が深まった一因ではないでしょうか。
先ほども述べましたが、行政と対話し、同じ目標を持ち、譲れるべき点は譲り、建設的な交渉を重ねていくべきではないかと思います。
今回、私がこのような記事を書いたのは、この問題で振り回される子供たちがかわいそうに思ったからです。
議論がストップしたままで割を食うのは公園で遊んでいた子供たちです。子供たちがきちんと遊べる場所を早く提供してあげたいと思います。
行政も反対派も、子供たちのためにここは大人として行動すべきではないでしょうか。
反対派のここだけは非難します
特に、反対運動の中でこれだけはやめていただきたいと思うことがあります。
それは子供の政治利用です。
まだ価値判断の定まっていない子供たちを説明会に連れていき、行政に向かって「公園をなくさないで」と叫ばせることは果たして正しいことでしょうか?
子供たちに行政への手紙を書かせ、それを行政に当てつけのように届けたことも大変な疑問を感じております。それを受け取った行政の方はどれほど心を痛めたでしょう。行政側だって好きでこんなことをしているわけではないのは誰の目にも明らかです。
むろん子供たちになぜ自分たちの公園が廃止されるのかを説明することはとても重要です。
ですが、それと子供を自分たちの政治主張のために利用することは別です。何より子供たち自身が傷つきます。
行政側だって悪意で公園を潰したわけではないのは確かなのです。これをきっかけに子供たちが大人や政治に対して不信感を抱いてしまったらとても良くないことだと思います。
本当に子供を守りたいなら、子供を政治の場に出すのはやめるべきではないでしょうか。
行政は子供への説明責任を考えてほしい
子供たちへの対応のまずさは行政の側にも言えることで、今回、行政は子供たちに向かってなぜ公園を廃止しなくてはいけないのかをきちんと語ったことはあるのでしょうか?
特に田中区長は計画の実行者として、あるいは行政の長として、子供たちに「なぜ遊び場を閉鎖しなくてはいけないのか、その保障としてどんな対応策を取るのか」を自らの言葉できちんと説明する責任があると思います。
子供は絶対的な弱者です。行政が弱者に対して負担を強いるのです。それなのに行政の側から責任のある言葉が無いというのは、大変問題のある態度だと私は考えております。
子供たちのためにも行政と反対派は建設的な議論をすべき
行政も反対派も、保育園にやってくる子供と公園で遊ぶ子供という違いはありますが、それぞれ子供たちのために行動しているという点ではベクトルを同じくしています。
ですからお互いにきちんと話し合えば、協調することも可能なのではないでしょうか。
今回の問題では、何より行政側は説明不足でしたし、反対派も、それを論理的に追及できていないように思われました。
待機児童がこれほど問題となっている現状、今後もこの公園転用の問題は東京の他の地域でも起きると予想されます。そのとき久我山東原の事例が問題解決のよき手本となるのか悪しき前例となるのか、今がその境目だと思います。