豊洲がどうのこうのという前に築地を使い続けるのは大問題! 図解でわかる築地市場の問題点(前編)
ちょっと前のことになりますが、築地市場の移転延期が発表されました。
私としては、豊洲より築地の方がネームバリューあるよなぁなどとニュースを眺めていたのですが、最近すっかり売れっ子のおときた駿東京都議員の記事を読んで、私の保育園の主張考えが似ているなと思っているうちに、興味が沸いてまいりました。
そういうわけで、今回はこの「築地移転問題」を図解しています。
ちなみに移転先の豊洲の問題には今は触れません。情報が錯綜していますし、今回のテーマはあくまで「築地を使い続けるリスク」についてだからです。
余談ですが、私は図解を「自分の主張に使うのではなく、混沌とした事実を分かりやすく表現する」ために使うことを目標としており、あんまり政治的な話には立ち入りたくないなと思っています。あくまで自分は建設的な議論をするための道具でありたいとそう思っています。
ちょっと最近、政治的な主張に踏み入りすぎたという反省と自戒を込め、この築地問題を眺めてみたいと思います。
だめでしょ、築地
最初から匙を投げているような表現ですが、調べれば調べるほど、築地市場は「食品を取り扱う場所としてふさわしくない!」という結論にしか到達できません。
もし築地と同じような建築物を建て、そこで飲食物を取り扱いたいと言っても、消防庁も保健所も決して営業許可を出さないでしょう。
築地は古くから存在している施設ゆえに存続を許されているとしか思えません。
問題点は大まかに分けて2点。
1、築地市場は建築的観点から見て、存続させることそのものが危険な状態である。
2、個人の力では対応できないレベルで衛生状態が悪い。
この問題点を前後編に分けて図解していきたいと思います。
最大のリスク。それは【首都圏直下型地震】
まずは非効率な物流
築地は築82年の旧い建物です。戦前に建てられた建物ということですね。
もともとは鉄道輸送を想定した施設のため、ウィキペディアから引用した以下の写真をご覧ください。建物全体がカーブしているという変わった建物です。
しかし現在では鉄等輸送は廃れ、もっぱらトラックによる運搬が主流になっているようです。
ところが、もともとトラック輸送を想定していない建物であるため、あちこちで事故が起きているという話です。年間400件という話もありしたが、確実な裏は取れませんでしたので、事故が多発という表現にとどめております。ただ、築地移転を検討している都議会でも築地の交通事故の多さは話題として取り上げられており、事故が多いことについては紛れもない事実のようです。
以下のサイトが築地問題を詳細に取り上げてくれています。この中で、築地のトラック輸送の導線がなぜだめなのかも解説してくれています。ただ、以前築地移転騒動(2010年)があったときに主に更新されていたサイトなので、新聞記事へのリンクが切れてしまっているのが惜しい。
ともかく、築地が「非効率な物流」状態にあることは紛れもない事実なようです。
そして老朽化
そして何より、老朽化が激しいのが問題です。
小池都知事が視察に訪れたあとの記者会見で以下のように述べいます。
実際に築地市場に入ってみると、壁が落ちたり、金具が落ちてきたり、ある意味、危険な状況でした。
現地に赴いた知事がこのようにコメントされているくらいですから、老朽化は疑いようもない事実と考えて良いでしょう。また、ほかにも天井から鉄板が落下してきたり、壁が崩落するなどという事故も起きたことがあるようです。
とどめにアスベスト
戦前に建てられた建物ですので、当然のように建材にはアスベストが使われております。このアスベストが問題になったときに築地市場も当然対策工事はしているようですが、それでも毎年アスベスト対策費が運営計画に盛り込まれるなど、やっぱり問題は残っているようです。
こいつ嘘ばっかりだなw 1985年の築地移転検討資料見てこいよ。ついでに、アスベストがないならなぜ毎年アスベスト対策費なるものが築地市場運営計画に計上されてんの? https://t.co/ib19BjSm2B
— 山本一郎(やまもといちろう) (@kirik) 2016年8月29日
根拠が山本一郎さんのツイートのみで申し訳ないのですが、こういうことで嘘をつく人ではないので。すいません、どうしてもここで言及されている築地市場運営計画というものがネットでは見つかりませんでした。(裏の取り方をもっと学習します)
ともあれアスベスト自体は石原元都知事も言及していますし、小池都知事も言及しているので、存在自体は間違いないでしょう。
首都圏直下型地震は常に想定しないと
現状、築地は何とか営業できています。それは築地を長年使い続けてきた人々の工夫の成果なのでしょう。
ですが築地市場を現状のまま運営するとなったとき、常に考えておかなければならないのは首都圏直下型地震が起きた時の影響です。人間の力など及ばない大災害が起きてしまったとき、元からあった築地市場の諸問題はさらに悪化します。
そして問題なのは、築地が機能しなくなると、長期間にわたって食料流通に大きな影響が出るということなのです。
物流について
もとから車の渋滞が発生しているという築地市場ですから、地震が起きた直後ともなるとその物流の混乱は致命的なものになるはずです。果たして市場の中を車は通れるのでしょうか?
物流機能がマヒしてしまうことは当然予想すべきです。
老朽化について
これだけ老朽化した建物ですからいつ倒壊してもおかしくはありません。幸い、前回の東日本大震災は持ちこたえることができましたが、次の首都圏直下型地震があのときよりも規模が小さいと決めつけることはできません。
むしろ、あの時の地震で建物自体にダメージが蓄積している可能性だってあります。
それ相応の対策はなされていると思われますが、「壁が落ちたり、金具が落ちてきた」と小池都知事に改めて言及されているくらいですから、楽観視することは到底できません。
もしも建物が倒壊してしまったら築地の中にいる人々の生命に関わります。また、これらの人々が担っていた流通機能が機能しなくなってしまいます。近い将来に地震が起きることは分り切っているわけです、倒壊の危険性のある建物を使用し続けてはいけないのではないでしょうか。
アスベストについて
倒壊のリスクはまだ可能性の問題とも言えます。ですが確実に予想されるのが地震によってアスベストが飛散することです。アスベスト自体は呼吸器に入らない限りはそれほど危険視しなくてよいらしいですが(つまり食べても大丈夫)、それでも地震によって建物に強い負担がかかり、アスベストが飛散してしまえば場内は人が立ち入れる状態ではなくなってしまいます。むろん物流機能はストップです。
築地市場が使用不可になったときのことを考えよう。
築地市場は古い建築基準によって建てられた建物です。幸いにして、今まで大きな地震にも耐えてきたわけですが築82年の建物に過大な期待を抱くわけにはいきません。
もしも地震によって築地市場が使用できなくなるとどうなるでしょうか。
近年では築地市場を通さない食品流通が増えてきたとはいえ、それでも首都圏の食料流通に大打撃なのは間違いないでしょう。特に築地市場で取り扱われている海産物は野菜よりもさらに傷みが早いわけで、少しでも食料を確保したい緊急事態にも関わらず、これらの食料が無駄になってしまいます。
また、物流の回復までに長い時間がかかってしまうというリスクもあるでしょう。
以上のような理由から、築地市場を使い続けるわけにはいかないと私は考えます。
とにかく地震が来る前に築地市場から食品流通の拠点を別の場所に変えること。
これは私たちが地震から生き延びるための必要条件と言えるのではないでしょうか。
後編は建築の問題よりもさらに問題の衛生状態についてのお話しになります。
【図解動画】認知症ミニセミナー~頻繁にトイレに行く場合の対応~【習作】
ナレーション付きプレゼンテーション動画の習作です。
内容は、以前作成した知人の看護師に依頼されて作成した院内講習の動画を修正したものです。掲載許諾済み。
主に認知症介護に関わる方に参考になる動画です。
(注)作中に頻尿の対策として薬の量を減らすという話題が出てきますが、もっと正確に言えば、薬を変えたり、投薬量を変える、という表現が正しく、減らすばかりが正しい対応とは限らないという指摘を受けました。
使用したソフトはほぼpowerpointとCeVIO Creative Studio Sというソフトのみ。
こんなに簡単にナレーション付き動画が作れるようになったことに時代の進化を感じます。
杉並区の待機児童公園転用問題について~もう一度行政を話し合いの場に出す方法を考えた~
杉並区の公園転用は法律上「違法ではないが不適切」
行政と住民とは、もう話し合うことができないのでしょうか?
私はそうは思いません。
なぜなら杉並区の公園転用は実施を急ぎすぎたため、法律上「違法ではないが不適切」といった運用をしてしまっているからです。住民側がこの状態を認識し、行動を起こせば杉並区は再び説明会を開かざるを得なくなります。それも今度は一方的な「説明」ではなくきちんとした「議論」をすることができるはずです。
では杉並区は一体何を間違えてしまったのでしょうか。まずはその検証です。
公園転用の法的根拠について
そもそも公園は、都市公園法という法律により管理されています。
その中には「公園管理者は、次に掲げる場合のほか、みだりに都市公園の区域の全部又は一部について都市公園を廃止してはならない。(第16条)」という文章があり、本来、誰であろうと公園を何かに転用してはならないのです。
なぜ都市公園はこのように守られなければならないのでしょうか?
国土交通省が出している「都市公園法運用指針(PDF)」ではこのような理由が書かれています。少々長いですが引用します。
都市における緑とオープンスペースは、人々の憩いとレクリエーションの
場となるほか、都市景観の向上、都市環境の改善、災害時の避難場所等として機能するなど多様な機能を有しており、緑とオープンスペースの中核となる都市公園の積極的な整備を図るとともに都市住民の貴重な資産としてその存続を図ることが必要である。(都市公園の保存規定について(法第16条関係))
つまり、都市公園はさまざまな機能を持つ「都市住民の貴重な資産」であるから、簡単には廃止してはいけないというのがこの文章の主旨です。
しかし現実的にはどうしても転用が必要な場合だって当然あります。
その場合を規定したのが都市公園法第16条の「次に掲げる場合のほか」に当たる例外の規定についてです。
今回の保育園転用に杉並区が使った条文だけを抜き取ると、都市公園法第16条の1の「都市公園の区域内において都市計画法 の規定により公園及び緑地以外の施設に係る都市計画事業が施行される場合その他公益上特別の必要がある場合」という文章の「その他公益上特別の必要がある場合」が公園転用の法的根拠となります。
この「その他公益上特別の必要がある場合」については、運用指針でさらなる解説が加えられています。
「公益上特別の必要がある場合」とは、その区域を都市公園の用に供し
ておくよりも、他の施設のために利用することの方が公益上より重要と判
断される場合のことである。
その判断に当たっては客観性を確保しつつ慎重に行う必要がある。(都市公園法運用指針より一部抜粋)
公園を転用する方が公益にとって重要ならば転用してもいいが、その際には「客観性の確保」と「慎重に行う」ことが必要だと国交省は述べています。
特に注目してほしいのがこの一文の語尾「必要がある」の部分です。
中央省庁の出す運用指針は、法律ではないものの、法律に準ずる程度の効力があります。まして杉並区は行政組織ですから絶対に守らなくてはなりません。
杉並区が保育園建設のために公園を転用しようとするならば「客観性の確保」と「慎重な判断」が絶対の必要条件となるのです。
必要条件: 「客観性の確保」と「具体的な判断」
ところで「客観性の確保」と「慎重な判断」とは具体的には何をすれば良いのでしょうか。これは杉並区の松尾ゆり議員が、杉並区議会の本会議にて、一般意見を述べる際に説明してくれています。(該当部分にリンク)
それによれば「客観性の確保」については「この判断は、最も慎重に行わなければならず、その客観性を確保するため、あらかじめ公聴会を開き、真に利害関係を有するもの又は学識経験を有する者等から意見を聞く等が好ましい」と国交省監修の『都市公園法解説』という本に書かれているそうです。
また「慎重な判断」については昭和46年名古屋地裁の判例を援用できるそうです。
それによれば「ある土地の利用方法としてどちらがより公益性があるかを比較する場合、抽象的な事業の種類、性質のみでなく、「個別、具体的事業の公益性の事情を総合勘案したうえ比較して個別的、具体的に判定せられるべき」」とのことで、松尾議員の質問内容からすると、具体的なデータが必要らしいです。おそらく、誰にでもわかる形のペーパーを用意しろということなのではないでしょうか。(これについては確証までは得ておりませんが、私はこちらの条件をあまり重視しておりません。理由は後ほど)
以上の2点の条件を満たさないかぎり特例としての公園の転用は認められません。
国交省の想定する「客観性の確保」とは?
2つの条件のうちの「慎重な判断」については今回論じません。
なぜなら、この問題は待機児童の解決という明確な目標があり、行政ならばそれを肯定するためのデータを作るのは造作もないことだからです。
今回の論点は「客観性の確保」の方です。
先述した国交省監修の「都市公園法解説」には「客観性の確保」のやり方として、「あらかじめ公聴会を開き、真に利害関係を有する者又は学識経験を有する者等から意見を聞く等が好ましい」とあるそうです。(伝聞形式なのは、この本を持っていないからです)
公聴会って何?
公聴会とは、その名の通り、公から意見を聞くことであり、身も蓋もない言い方をすれば、行政が判断が難しい問題について外部からのお墨付きを得るための意見聴取です。
地方自治体でこの公聴会を開く権限を持つのは地方議会の委員会だけです。(地方自治法第152条の2より)行政も特定の問題については公聴会を開くことが可能ですが、今回の公園転用では開催する権限はありません。
国交省が想定する「客観性の確保」のためのプロセスとは
したがって、今回の問題に関するプロセスで国土交通省が好ましいと考える地方自治体の「客観性の確保」のやり方を順を追って説明するなら以下のようになります。
- 行政が「公園転用」計画を議会に提出する。
- 地方議会の委員会が「公聴会」を開き、「真の利害関係を有する者」あるいは「学識経験を有する者」から意見を聴取する。
- 公聴会の意見をもとに委員会にて議員が「公園転用」を承認する。
- 本会議で、議会全体として「公園転用」を議決する。
すなわち「客観性の確保」は公聴会、そして議会という二重のロックによって担保するのが「好ましい」と国交省は考えているわけです。
「都市公園法解説」には地方議員についての言及はありませんが、公聴会を開く権限が地方議会の委員会以外に無い以上、地方議員もこの客観性の確保の重要な構成員であることには間違いありません。そもそも地方議員は選挙によって選ばれた人々ですから、その意味からも客観性の担保にはふさわしい存在です。
杉並区は「客観性の確保」をおろそかにした
では今回の杉並区の公園転用のやり方はどうだったのでしょうか?
今回、杉並区議会は緊急事態だったため、公聴会を行っておりません。(そもそも公聴会を開くだけの日数の猶予が無かった)
したがって「客観性の確保」を担っているのは区議会議員だけなのです。
そして区議会議員たちは「公園転用」には賛成しましたが、賛成派も反対派も住民との話し合いができていない点を問題視しており、賛成意見のほぼすべてに表現は異なるものの「住民との話し合い」が条件として盛り込まれていました。
だからこそ杉並区は住民説明会を行ったのです。それが区議会との約束だからです。
ところが杉並区の行った説明会は一方的なもので住民はいまだ納得していません。これで果たして区議会委員の求めた「話し合い」が行われたと言える状態なのでしょうか?
言えないと私は考えます。
議員の承認のみのシングルロックでは簡単に突破される
先ほど確認したように、杉並区議会は公聴会を開いての「客観性の確保」を行っていません。
普通ならば、公聴会で「客観性あり」と判断された事案を区議会議員の意見だけでひっくり返すことは容易なことではないでしょう。
(以下の文章は可能性が無いため打消し線を引いております)
ところが今回の件では、公聴会による裏付けがないために各議員は自らの判断だけで客観性についての態度を変えても何ら問題はありません。
思い出していただきたいのは「公園転用」の賛成意見には条件がつけられていたということです。この条件が満たされていないということは、議員たちは条件が守られていないことを理由に賛成から反対に転じることができるということです。
「杉並区の行う公園転用には待機児童の解消という大義があり、計画そのものには賛成した。しかし実施に際しては周辺住民への対話もおそろかであり、この条件を付けて賛成した区議会の議決をも軽んじている。目的はともかく、計画の実施に際し杉並区のやり方は一方的かつ乱雑であり、真に公益性を追求しているかも疑念が生じかねない状況である。このままでは計画の反対に転ずるのもやむを得ない」
このような声明が議会から出されたら、反論できる根拠を杉並区は持っておりませんし、都市公園法の運用の上でも公園転用ができなくなってしまいます。杉並区は住民を説得するための話し合いを再開するしかないのです。
ここが杉並区の「公園転用」の問題点なのです。
杉並区の公園転用は「客観性の確保」に問題があり、きわめて不安定な法律運用なのです。そこを突けば、行政の対応は変わらざるを得ません。
公園転用反対ではなく、話し合いの再開を訴えよう
したがって反対派住民がやることはただ一つです。
公園転用反対を訴えるのではなく、行政がきちんとした「話し合い」を行っていないという証拠を集めて各議員に働きかけることです。
幸い、境治氏のレポートやメディアの記事により、住民説明会の内容は周知されています。「住民に納得していただいた」と行政がいくら言ったところで説得力はありません。それに加えて充分な数の署名があれば証拠としては十分なはずです。
これは「保育園転用反対」の署名ではなく「実のある話し合い」のための署名ですから、保育園転用賛成派からも広く賛同を得ることが可能ではないでしょうか。
この問題は法律的に正しいかどうかではない。
以上は私の推論であって、それなりに論理性は確保しているつもりですが、法律論としては間違っているのかもしれません。
特に議会には一事不再理の原則というものがあり、区議会議員としては一度賛成した計画について反対と言いづらい部分はあるかと思います。
(追記:やはり一度賛成したものを反対に転ずるのは難しいようです。堀部やすし議員ありがとうございました)
冒頭に「違法ではないが不適切」というフレーズを使わせていただきましたが、これはけっして冗談のつもりではありません。
この件は前東京都知事の公金流用問題と似ている点があるのです。もちろん杉並区の待機児童問題への取り組みは立派でその点は比較にもなりませんが、法律論としてとらえると確かに「ただちに違法」とまでは言えないのは事実です。
しかし問題はそこではありません。
杉並区がきちんと住民を納得させていないことは紛れもない事実なのです。
だからこそ、反対派は「行政の説明が不十分であること、住民が納得できないないこと」を実証する必要があるのです。それに対して行政側も応える義務があるのです。そこをなあなあにして事態を進行させようとする態度は許されません。
逆に行政側がきちんと公園転用を納得できるだけの論拠を示せれば、反対派も譲れるところは譲るべきです。
このまま対立が続いて良いことは一つもありません。もう一度行政と住民が話し合い、譲れるところは譲り合い、納得できる結論を出してもらいたいと私は考えています。
まずは子供ファーストで考えてほしい
今回、杉並区の手法は住民の意向を無視した強引なものでした。反対運動が起きるのは当然のことと思います。
ですがその反対運動は徹底交戦とでもいうべき強固な反対ばかりで、かつ住民の統一した意思ではなく、個人個人での散発的な反対意見ばかりのように見受けられました。これも結果として対立が深まった一因ではないでしょうか。
先ほども述べましたが、行政と対話し、同じ目標を持ち、譲れるべき点は譲り、建設的な交渉を重ねていくべきではないかと思います。
今回、私がこのような記事を書いたのは、この問題で振り回される子供たちがかわいそうに思ったからです。
議論がストップしたままで割を食うのは公園で遊んでいた子供たちです。子供たちがきちんと遊べる場所を早く提供してあげたいと思います。
行政も反対派も、子供たちのためにここは大人として行動すべきではないでしょうか。
反対派のここだけは非難します
特に、反対運動の中でこれだけはやめていただきたいと思うことがあります。
それは子供の政治利用です。
まだ価値判断の定まっていない子供たちを説明会に連れていき、行政に向かって「公園をなくさないで」と叫ばせることは果たして正しいことでしょうか?
子供たちに行政への手紙を書かせ、それを行政に当てつけのように届けたことも大変な疑問を感じております。それを受け取った行政の方はどれほど心を痛めたでしょう。行政側だって好きでこんなことをしているわけではないのは誰の目にも明らかです。
むろん子供たちになぜ自分たちの公園が廃止されるのかを説明することはとても重要です。
ですが、それと子供を自分たちの政治主張のために利用することは別です。何より子供たち自身が傷つきます。
行政側だって悪意で公園を潰したわけではないのは確かなのです。これをきっかけに子供たちが大人や政治に対して不信感を抱いてしまったらとても良くないことだと思います。
本当に子供を守りたいなら、子供を政治の場に出すのはやめるべきではないでしょうか。
行政は子供への説明責任を考えてほしい
子供たちへの対応のまずさは行政の側にも言えることで、今回、行政は子供たちに向かってなぜ公園を廃止しなくてはいけないのかをきちんと語ったことはあるのでしょうか?
特に田中区長は計画の実行者として、あるいは行政の長として、子供たちに「なぜ遊び場を閉鎖しなくてはいけないのか、その保障としてどんな対応策を取るのか」を自らの言葉できちんと説明する責任があると思います。
子供は絶対的な弱者です。行政が弱者に対して負担を強いるのです。それなのに行政の側から責任のある言葉が無いというのは、大変問題のある態度だと私は考えております。
子供たちのためにも行政と反対派は建設的な議論をすべき
行政も反対派も、保育園にやってくる子供と公園で遊ぶ子供という違いはありますが、それぞれ子供たちのために行動しているという点ではベクトルを同じくしています。
ですからお互いにきちんと話し合えば、協調することも可能なのではないでしょうか。
今回の問題では、何より行政側は説明不足でしたし、反対派も、それを論理的に追及できていないように思われました。
待機児童がこれほど問題となっている現状、今後もこの公園転用の問題は東京の他の地域でも起きると予想されます。そのとき久我山東原の事例が問題解決のよき手本となるのか悪しき前例となるのか、今がその境目だと思います。
公園転用は止められないが、実は反対派はすでに勝っているという話
保育園建設反対運動では負けたが、住民は実は勝っている
前回までの連載では、最終的には公園転用の反対派に厳しい意見になってしまいました。
ですが、私は杉並区の今回のやり方には「理解はできるが、賛同はできない」という立場でおりますし、反対運動そのものは当然のことだと思っています。
しかし時間が無かったことと、作戦が十分でなかったため、結果として反対派の悪い点が目立ってしまったような気がします。
特に3回目の説明会ですが、行政側が話し合いに応じないと分かった時点でボイコットすれば良かったのではと思っております。説明会をボイコットされた行政が、どんな顔で「住民側の理解を得られた」と主張するのでしょうか。
反対派にきちんと作戦を立てられるだけの組織力があり、行政と真摯に交渉できるならば、実は住民は実質的には勝利しているのではないかというのが私の個人的な意見です。今回からの記事は誰かの意見の解説ではないということをあらかじめ断っておきます。
そもそも、最初を思い出してください。
住民の皆さんが保育園建設反対をしたのはエゴからではありませんでした。
素晴らしい公園施設を失いたくないというのも理由の一つでしたでしょうが、究極的には、公園の上で育んできたコミュニティを守るための運動だったはずです。
ほとんど投げやりな代替地が用意されて住民が怒りを感じるのも、その代替地では「ゆるやかなコミュニティ」を守ることができないからです。
仮にたとえどんなに広く立派な代替地が用意されたとしても、そこでコミュニティを継続していくことができなければ住民にとっては意味がないのです。
ここを行政は理解していません。
公園施設それ自体は、やはり区の所有物ですから、どう使うかの最終的な決定権は区にあります。これは動かしようがありません。しかし、その上にできていた「ゆるやかなコミュニティ」は、形は無いものの住民が築き上げてきた大切な資産です。これを破壊してしまった責任を行政は取らなくてはいけないはずです。
まずは行政に訴えるべきだったのは「公園転用への反対」ではなくこの「コミュニティの存続への保障」だったのではないでしょうか。
(ただし、行政は都市公園法の運用に大きな失敗をしています。これは次回以降の記事で解説します)
反対運動は無駄ではなかった
住民の皆さんが、節度を守り、行政の強引な手腕に対してきちんと反対意見を主張したことにより、この問題は全国規模の知名度を得ました。
もしここで住民の側から行政に歩み寄り、公益のために住民が負担を受け入れるという形を取れば、これは大きなニュースとなって日本中に広まります。
杉並区全体の好感度アップにもつながり、区長をはじめとした行政側は、計画を無事に実施できるとともに大きく面目を果たすことができるのです。
これは俗な言葉になりますが「行政に恩を売る」ということです。
また、反対運動をきっかけに境氏が取材に動いたことにより、区長本人から「40%に保育園を建てて、残りをどう使うかという前向きな話ならウェルカムです。公園をこう変えたいという話でも私そのための予算も頑張りますよ」という言質を引き出してくれました。公的な立場の人間の発言はそう簡単に反故にはできません。
もしもここで「保育園建設反対」ではなく「コミュニティ存続」を主張するならば、保育園と公園が一体化した新しいコミュニティを形成するため、行政は住民に全面的に協力をしなくてはなりません。
「保育園建設」が行政の責任であるのと同様に「コミュニティ存続」も行政の責任だからです。そのための予算だって区長は約束してくれています。
そもそも住民は保育園建設そのものには反対していません。
いきなり公園を取り上げられたことが反対運動のポイントなのであって、仮に久我山東原公園が転用以前の敷地と設備を持ち、さらに保育園が隣接していたとしても別に問題はないはずです。(向井公園への言及が少なくて申し訳ありませんが、やはり同様に保育園と公園が両方ともにあっても特に問題はないはずです)
住民が公園の設計を含めた議論に直接参加できることは、そう多くはありません。
もちろん建設される保育園の運営にも住民側の意思もたくさん反映させることができるでしょう。保育園の園庭を必要に応じて一般に開放でしてもらえるようにするよう交渉できるはずです。
強引だった行政側に住民の側があえて大人の対応をしてみせることで、行政に対して優位性を得られるという絶好の機会になるのです。
少し想像してみてください。
大きな広場に囲まれた保育園があり、小さな子供たちが楽しく一日を過ごし、そこに地域の住民が集うというのはそれほど久我山東原という場所にそぐわない光景でしょうか?
境氏の記事の中には反対運動をしていた女性が、保育園の園庭の花壇の手入れをすることができると知って態度を軟化させて話がありました。
久我山でもガーデニングが趣味の方が保育園の園庭に植える草花を決めたり、保育園の壁に貼られる朝顔やひまわりを模した掲示物を地域の手芸愛好家の方が手伝ったりすることも可能かもしれません。
今まで公園では餅つき大会を行ったりお神輿を置いたりしていたそうですが、その場所が保育園の園庭に変われば、保育園の子供たちはその光景に目を輝かせて興味を持つはずです。
これらは住民のコミュニティにとってマイナスなのでしょうか?
待機児童を持つ親とその子供を守る保育園が真ん中にあり、その周りに住民の意思で守り、育てていく公園がある。私にはとても素晴らしいことのように思われます。
なにより、久我山東原に通う子供というのは本来、反対派の方が守ろうとしたコミュニティの一員のはずです。保育園の建設は久我山の子供たちの未来への贈り物、そう前向きにとらえることはできないでしょうか。
土地は時代とともに変化する
そもそも久我山東原公園は、最初は民間の農地でした。
それが住民の願いを受け、地主さんから区に譲渡され、20年かけてみんなに愛される場所へと変化していったのです。
今回、公園の転用計画によって公園とコミュニティは分断されてしまいました。
しかし、せっかく20年かけて育ててきた場所とコミュニティをこのまま物分れにしたままで良いのでしょうか。
公園を奪われた憎しみを未来へ残すことが本当に正しいことなのでしょうか。
実は、私はこの記事を書くにあたり、久我山東原公園に取材に行きました。すでに工事は始まっており、公園の半分は閉鎖されていましたが、それでも小さな子供を連れた父親が母親が次々と集まり、楽しそうに水遊びをしているのを見ました。
また、地元のサッカーチームのユニフォームを着た小学生らしい男の子たちが、カミキリムシを見つけて大騒ぎをしているのも目撃しました。
このようなコミュニティは何としても守るべきだと思います。
確かに行政のやり方は一方的でした。しかしそこですべてを拒絶し、反対運動を続けて憎しみを残すよりも、お互いに協力し、再び愛されるコミュニティを作った方が良いのではないでしょうか。
住民の力で20年かけ、農地は愛される公園に変わりました。
その力を使って次の20年でその公園が保育園付きの未来型の公園に変化しても良いのではないでしょうか。
私の言うことはしょせん部外者の理想論かもしれません。ただ、お互いの事情をよく知れば歩み寄れることは可能ではないかと思い、今回、記事を書かせていただきました。
よろしければ、皆様のご意見をお聞かせください。
ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。これをお読みになったすべての方にとって、この問題を考える一助となればこれに勝る喜びはありません。
なお、次回は「杉並区の都市公園法の運用不備を突いて、もう一度交渉テーブルを引き出すための一考察」です。
まだ続きます。
えっ、公園の保育園転用はエゴじゃないの!? 図解で分かる杉並区の保育園転用問題で反対派が無視された理由(了)
行政が住民と直接対話をしない理由
前回の記事の続きです。
境氏のインタビューの中で、田中区長は「みなさんとお話しするのは大歓迎です。いくらでもお話ししたいですね」と言っています。それなのになぜ、行政は反対派の意見に耳を貸さないのでしょうか。
行政側が反対派と話し合わない理由は何か。
行政が住民ときちんと話し合おうとしない理由、
それはもちろん、時間が無いのもあります。強引な手法を取ったうしろめたさもあるかもしれません。しかし一番の理由は反対派が「待機児童に対する責任」そして「区民の責任」を分かっていないと考えているからではないでしょうか。
区には待機児童を解決する責任がある
まずは「待機児童への責任」です。
行政とは、究極的には市民の福祉のために存在している組織です。
当然、待機児童など本来なら発生させてはいけないのです。それは待機児童の発生によって、母親や待機児童になってしまった子供人生に悪い影響を与えるからであることは前回説明したとおりです。
「保育園が必要なのは分かっています、だが公園の転用はダメだ」と反対派が主張すると田中区長はインタビューの中で言いました。公園転用以外の方法が並大抵の努力では実現できないことは確認した通りです。
それでも反対派が単に公園の転用を主張し続けるならば、行政の代わって約100名の待機児童とその母親の人生に責任を取らなくてはいけません。
杉並区の今回のやり方は性急ですし、住民の感情を無視した暴挙ですし、私個人の意見としても「これは悪手すぎる」と思っています。行政の側にもう少しの猶予と工夫があれば、この問題はもっとスムーズにいったはずなのです。
しかし行政側が「待機児童に対する責任」を果たそうとしていること、これだけは紛れもない事実なのです。責任を果たそうとしている人々の行動を反対し阻止する限りは、その責任を肩代わりしなくてはいけないはずです。
個人の力ではできないことがあるからこその行政です。その行政が限られた時間の中で絞り出した苦肉の策が「公園転用」なのだということはもうお分かりの通りかと思います。
反対派はもしも反対運動が成功したあかつきにはサッカーをする子供たちに向かって「100人の小さな子供とその母親の人生を奪って、君たちの遊び場を守ったんだよ」と胸を張って言うつもりなのでしょうか?
どんなに意に添わなくても民主主義の結果は受け入れなくてはならない
また反対派の方には区民としての責任もあります。
田中区長がインタビューの中で指摘した通り、選挙によって選ばれた区長が発案し、これまた選挙によって選ばれた区議が議会で承認し、さらに陳情も不採択になったというこの状況で、なおも単なる公園転用の反対運動を続けるということは、民主主義の結果を否定するということに他なりません。
「3000筆も反対署名が集まったのに無視するなんて民主主義に反している」という言葉をネットで見かけましたが、民主主義を主張するならなおのこと、議会の決定は尊重しなくてはならないはずです。
また特定の個人を指摘するわけではありませんが、「行政は今まで問題を先送りしてきたツケを住民に負担させるのか」と実際に発言された方がおられました。(ネットでは複数見かけました)
これも残念ながら無責任な発言です。
杉並区の待機児童問題のそもそもの発端は、今の田中区長の前の区長が保育園建設に消極的だったのが直接の原因と説明されています。その前区長を選んだのは他でもない杉並区の住人なのです。
責任を取らない人と真面目に話し合う人はいない
待機児童など知らない、選挙で選ばれた議会の決定にも従わない、保育園は必要なのは分っている、だけど公園はダメだ、計画は白紙に戻せ、他を考えろ、それが行政の仕事、とにかく私を不快にさせるな。
行政の視点から見れば、反対派はこのように主張していると思われているのかもしれません。
また行政は住民が「お互いに譲歩を引き出す」という交渉に応じるかどうかも疑問に思っているかもしれません。
産経新聞の記事にこのようなものがありました。
この記事からの引用です。
説明会では、同席した保育園の運営業者が会社の沿革や経営状況などを説明した。しかし、たびたび「もっとちゃんとしゃべれ」「子供が犠牲になっても良いんですか」という不規則な声が。司会役が「お静かに」と何度か注意してもおさまらなかった。
そのとき、年配の女性が立ち上がり、区幹部や業者らの前へ進むと、説明会で配られた資料を縦に破り、それを丸めてみせた。拍手が起こる。
この記事に書いてあることが事実であるとしたら、反対派は絶対にやってはいけないことをやってしまっています。
どんなに理不尽な対応を受けたとしても、相手に対する敬意は、交渉の際の最低限のマナーです。この記事の年配の女性の行為が一人だけのものならまだ救いはありますが、どうして誰もこの行為を咎めなかったのでしょうか?
残念ですが、このことだけでも行政が住民を無視したくなるのも理解できます。実は今回の連載はこの記事が掲載された前日に完成していたのですが、今まで公開をためらっておりました。反対派の方々を信頼して良いのか悩んでいたのです。
もっとも、悩んでいた期間に、都市公園法についての調査を終え、行政と対話できそうな「行政の不備」を発見でき、また久我山東原公園を取材する機会を得たので結果的には躊躇ってよかったとは思っております。
話題が脇道にそれました。
もし反対派が行政にきちんと耳を傾けてほしければ、自分たちがどのように責任を果たすのかを明確にし、行動に示さなくてはならないと私は考えます。
連載はここで一区切りですが、内容的にはまだ続きます。
えっ、公園の保育園転用はエゴじゃないの!? 図解で分かる杉並区の保育園転用問題で反対派が無視された理由(4)
そもそもどうして来年4月までに保育園が必要なのか
これについて境氏をはじめとし数多くの人々から「来年の4月という期限を緩めてもいいのではないか」という意見が出ているのを目にしました。
行政にはどうしても来年4月という目標を譲るわけにはいかない理由があるのですが、それを理解するためには「現代社会における保育園の重要性」と「待機児童の深刻性」を語らないわけにはまいりません。
まずは、この件を一番深く取材している境治氏が「保育園の必要性」についてiRONNAというサイトで記事を投稿しています。
ちょっとお断りしておきます。今回の図解や解説は、私による要約がやや強めに入っています。しかし主張する内容とその論理については同様の内容なので、ぜひ当該記事もお読みになってください。
20世紀の子育ては専業主婦が行うものだった
いきなり境氏の記事には無い言葉を使わせていただきますが、ごく大雑把にいって20世紀と21世紀では夫婦の子育てではその環境は大きく変化しております。
20世紀の夫婦の場合、男性は一つの会社に長年勤めていれば、自然と給与もあがり、家族を養うだけの稼ぎを持つことができました。いわゆる「終身雇用」の給与体系です。
そのため女性は出産を機に家庭に入り専業主婦となり、ほとんど家に居ることのできない夫の分まで子育てを一手に引き受けるのが普通でした。「男は外で仕事、女は家で家事と子育て」というのが20世紀の夫婦のあり方だったわけです。
21世紀の夫婦は共働き必須
ところが21世紀の夫婦はそれ以前の夫婦とは環境が大きく異なっています。
まず、夫の側が給与の水準が大きく引き下げられています。「終身雇用」の体制も崩れ、昇給の保証もなく、それどころか会社が倒産するリスクも20世紀とは比べ物になりません。
こんな状況では、妻の側も育児出産だからといって会社を辞めるわけにはいきません。産休の1年までなんとかなるでしょうが、その後は早く会社に復帰しないと正社員として戻れなくなってしまうのが現実です。
そして日本社会では、一度正社員という肩書が失われてしまうとそれを取り戻すのが難しいのです。かとって非正規雇用では得られる所得がずっと限られてしまいます。だから現代では女性も働き続けた方がよく、それゆえに子供を預けるための保育園は必須のインフラになるのです。
さらに都市部で就職し結婚した夫婦は、子供を預ける都合上、どうしても通勤時間が限られてしまい、都心にほど近い場所に住居を求めなければいけなくなります。その有力な候補地が今回問題の起きた杉並区なのです。
結果、杉並区では多くの子供を持つ、あるいは子供を持ちたい夫婦が集まってくるため作っても作っても保育園が足りなくなってしまうという状態で、ついに待機児童に対する緊急宣言が出されるに至りました。
久我山東原公園が保育園に転用される背後には、こうしたどうしようもない社会情勢の流れの中にあるものだったということは理解しておかなくってはなりません。
待機児童で母親の人生が詰む
久我山東原公園の保育園転用問題が起きた時、久我山の住民の方たちはただ反対するだけでなく、行政に対案を提示しました。この態度は素晴らしいと思います。
ですが、行政の反応はすべてノー。
この点に対して反対派の住民の方は「計画ありきだ」という反応をする方が多いようです。ですが、冷静に考えてみると「行政にとって対案に出た内容はそもそも実現不可能」だということが見えてくるのです。
これを詳しく解説したのがNPO法人フローレンスの駒崎弘樹氏です。ご自身が小規模認可保育園を経営している観点から、この計画には公園転用しかありえないことをご自身のブログで解説しています。そこからの引用を元に、なぜ行政にとって公園転用は絶対条件になったのか」を解説したいと思います。
・対案1 代替地の確保
駒崎氏によれば、区が作ろうとしているサイズの認可保育園は600平米くらいが平均的な大きさらしいです。ですが、駒崎氏がこの規模の賃貸物件をネットの不動産サイトで検索してたところ候補はゼロだそうです。
最初、この記事を見た時「ネットの情報だけじゃなく、不動産会社に直接当たれば物件があるんじゃないか、片手落ちだな」と思ったのですが、これは私の不見識でした。
先ほど時系列で今回の問題を確認した時に覚えておいていただいた「25日縛り」を思い出していただきたいと思います。
区の職員は、たった25日程度で候補地の選定をしなくてはいけませんでした。実際には「待機児童緊急対策第2弾」の発表に向けての事務作業もしなければならず、行動できる日数はさらに少なくなります。20日くらいがせいぜいだったのではないでしょうか。
この期間で、区内の不動産屋に片っ端から電話をかけ、しらみつぶしに候補地を見て回り、土地の持ち主にかけあって保育園建設の許可をもらうという作業は可能でしょうか? それも11か所同時に。
ネットで物件が見つかるくらいに物件が余っていないなら、そもそも賃貸物件に頼った保育園建設は無理でしょう。
・対案2 小規模認可保育で時間稼ぎをする。
なにも公園に大きな施設を建てるのではなく。とりあえず小規模認可保育を作り、その間に用地買収やら別の区有地に保育園を建てるというアイデアもありました。これは一見実現性が高そうでネットでも一番多く目にしました。私もそれなら実現可能じゃないかと思ったものです。
ところが、小規模認可保育を運営している駒崎さんのNPOのスタッフでさえ、適した建物を見つけるのに3か月かかるそうです。これは保育園には厳しい建築基準が求められており、さらに利用者が通える場所に存在しなくてはならず、さらにさらに大家さんが保育園に対して理解を持っているという条件をクリアしなければならないからだそうで、要するに保育園は規模に関わらず作るのがそもそも大変のようです。
時間に制限のある杉並区では、一見実現性の高そうなこの案も残念ながらまったく非現実的なのです。
・対案3 民間所有地の取得
これは駒崎さんが指摘するまでもなく、実現の可能性は限りなく薄いですよね。土地の売買にはやはり時間がかかります。たとえうまい具合に土地を取得できたとしても、保育園建設のために前の建物の撤去する作業も必要になるでしょう。
これでは来年の4月までに待機児童をゼロにするという計画とそもそも矛盾します。
つまるところ、この短期間で来年4月に間に合うように用地を確保しようとしたら、「区有地かつそれなりの広さのあるところ」を使う以外に手だてはなかったのです。
ちなみに、久我山東原公園の保育園建設スケジュールは、久我山の子どもと地域を守る会のブログによれば以下の通りらしいです。
2016年6月中旬~8月中旬
保育施設整備に向けた準備(整地等)
2016年7月
運営事業者の決定
2016年8月下旬
保育施設建設開始
2017年1月
竣工
2017年4月
保育施設運営開始
保育園建設に取り掛かれる区有地に建てるのでさえ、このようにスケジュールが厳しめです。
通常、保育園建設には2年かかるそうですが、それを1年に足らない期間でやりとげるわけですから、この業務に従事する区の職員の労苦はおそらく想像を絶するものでしょう。
これでは住民側が出した対案をことごとく受け入れないのも当然です。最短の手順ですらこのように期間ぎりぎりなのに、それ以上に素早く保育園を建てられる対案は、おそらく存在しません。
来年の4月にこだわらなければ別の方法もあるかもしれないが
ここで反対派の「久我山の子供たちを守る会」は「来年4月の期限を緩めるだけでいろんな方策があるはずなのに」と主張します。これは「守る会」だけでなく、たとえば松浦 芳子氏もチャンネル桜の中の「なっちゃんち まゆちゃんち #75」にて同様の発言をなさっています。(リンクをクリックするとYOUTUBEに飛びます)
ですが、先述の駒崎氏はこれに対し非常に憤って言います。
「来年4月の期限を緩めるだけで」と言っていますが、来年4月に保育園がない、というのがどういう意味か、境氏(および反対派住民)は理解しているのでしょうか?
なぜ駒崎氏は「問題の先送り」にこれほど怒るのでしょうか?
先ほどの境氏の 「「子育て」にきびしい国は、みんなが貧しくなる国だ」の記事の内容を思い出してください。
母親が保育園に子供を預けられないことはすなわち、失職の危機につながるのです。また、出産を機に会社を辞めてしまった女性が新たに就職先を見つけたとしても、子供を預けることができなければ、就職をあきらめざるを得ない場合だってあります。
当然、母親が社員に復帰できた場合に比べて格段にその家庭の所得が少なくなるわけで、子供に教育投資できる額も少なくなってしまいます。
こうなれば場合によっては子供が大きくなったときに大学進学をあきらめざるを得ない状況にだってなりえるわけで、待機児童問題はその子供の将来所得への影響すらある重大な問題なのです。
ある意味、 行政は待機児童を人質に取られている、のです。
「来年4月までの期限を延長すれば」と簡単に言うことは、行政側にとっては「久我山東原公園に建つ保育園で受け入れるはずだった定員約100名の待機児童とその母親の人生が大きく損なわれても良い」と言われるに等しい発言なのです。行政にとって「来年4月までの期限」というのはどうしても呑むことのできない「譲れない条件」というわけなのです。
この「譲れない条件」を理解することが、行政側と交渉するうえでのポイントになります。
次回に続きます。
えっ、公園の保育園転用はエゴじゃないの!? 図解で分かる杉並区の保育園転用問題で反対派が無視された理由(3)
有り難いことに、久我山東原の問題に関心を持っておられる方にリツイートしていただきました。
この連載記事はすでに全文を書き終えており、内容に加筆修正を加えつつ、順次掲載していく予定です。
こんなに早く目に留まることになるとは想定しておりませんでしたので、少々、気に留めていただきたい点を申し上げます。
私の目的は全体を俯瞰しつつ、問題解決に向かう道筋を考えることにあります。
それゆえ、行政側の視点で問題を考察することもありますし、反対派の援護になるような内容になることもありますので、賛成派、反対派問わず、一つの記事ではなく連載全体を見て判断なさっていただくようお願い申し上げます。
なお、今までの記事を含めて全体の構成はだいたいこのような感じで予定しております。タイトルは仮題です。
1、久我山東原問題を知ったきっかけ
2、住民が守りたかった公園の価値とは?
3、今までの時系列から全体を把握してみよう。←いまここ
4、そもそもなぜ来年の4月までに保育園が必要なのか?
5、行政が住民を相手にしない理由
6、反対運動は無駄ではなかった
7、都市公園法とはどんな制度なのか?
8、行政の不備を突いて改めて話し合いの場を持とう
以上が連載の大まかなスケジュールです。
どうぞ、最後までお付き合いください。また、記事の不備に対する突っ込み、疑問など大歓迎です。仕事の関係ですぐに対応するのが難しい場合もありますが、どうぞよろしくお願いします。
問題解決に向け、まずは今までのスケジュールを確認しよう。
住民が何を守りたいのか、なぜそれを守りたいかは分かりました。
それでは次に行政の視点を確認してみましょう。まずは全体像を把握するために、時系列に沿って起こった出来事を整理してみることからはじめます。
そもそもきっかけは4月18日の「待機児童緊急対策」の発表にさかのぼります。
それまで、杉並区は田中区長の指示のもと待機児童の減少に力を入れ、ある程度の成功を収めてきたのですが、ここにきて来年度の待機児童数が増加するという見込みとなり、新たに補正予算をかけ、待機児童の減少に乗り出します。
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(追記)杉並区議員松尾ゆり様に待機児童緊急対策の発表が3月1日であったとのご指摘を受けました。4月18日に行われたのは緊急事態宣言の記者会見でした。私の調査不足です。過ちがあったことをここに記載し、お詫び、訂正させていただきます。本来は誤った図解も残すのが筋ではありますが、画面構成上難しいため、図解は指摘を受け訂正したものであることをここに記載いたします。
なおこの後の文章に若干の祖語が発生いたしますが、大筋での論旨は変わらないと判断し、あえて加筆修正をしていないことも併せてご報告いたします。
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ところが、この見込みは実はまだ甘いことがその後に判明し、5月13日に「待機児童緊急対策第2弾」を発表します。この第2弾の時点で、久我原東山公園の保育園転用が発表されました。
ここでひとつ注目してほしいのは、第1弾と第2弾の発表の間には25日の期間しかないということです。後で詳しく解説しますが、区の職員はたったこれだけの期間で保育園の建設候補地を決めなければならなかったということは記憶しておいてください。
その5日後の5月18日には臨時議会で「待機児童緊急対策第2弾」が提出されます。
ちなみに、自民・無所属クラブの松浦 芳子氏(とおそらく所属会派の他の区議4名)と区民フォーラムみらいの山本あけみ氏は転用される公園を見て回ったと公表しているのが確認できました。
もちろん他の区議も独自に調査している可能性は十分にあります。境氏は区長のインタビュー記事で区議がきちんと地元の意見を吸い上げたかを疑問視していましたが、区議が何もしていなかったわけではなかったようです。
特にこのあたりが地元であるという区議の山本あけみ氏はブログにてこの問題を区議からの目線からまとめられており、この問題を調査するうえで非常に参考になりました。興味のある方はコメント欄を含めてご一読いただくとより理解が深まるかと思われます。
とはいえ5日間では区議の皆さんも満足なヒアリングなどできなかったはずです。いかに行政側が急ぎ足で計画を策定し、実行しようとしたかがうかがえます。
この間わずか30日の出来事です。
追記:区議の方々が資料を受け取った時期はもう少し早いらしいのですが、やはり十分な調査の時間はなかったと思われます。
そして反対運動が起こる
5月21日。
久我山東原公園の保育園転用について住民説明会が行われましたが、参加希望者が多く急きょ2回目が行われました。この1回目の説明は割愛します。
5月29日、2回目の住民説明会。
ここでテレビ取材が入り、「保育園建設を訴える母親に住民が怒号を浴びせる」といった意地の悪い編集の報道をはじめ、TV局各社でこの問題が取り上げ、全国にこの問題が知れ渡るようになります。
6月3日。
説明会で納得しなかった反対派住民は代表を立て、区長と直談判をします。話し合いは1時間半ほど行われたようですが、区長はあらゆる代替案に耳を貸さなかったようです。
6月15日。
杉並区議会本会議で住民からの保育園建設に「久我山東原公園への保育施設建設計画」の見直しに関する陳情」2件の不採択が正式に決定され、住民の反対運動は、少なくとも民主的手続きにおいては、行き場を失ってしまいます。
2回目の説明会から陳情の不採択まで、約18日間の出来事です。
その間、住民側は公園転用を止めてもらうように行政に働きかきますが行政はその全てを突っぱねます。
ちなみに陳情の不採択は、15日の本会議に先立つ6日の保健福祉委員会で決定されているため、実質的には2回目の説明会からわずか1週間程度で「民主的手続き」が全て完了してしまっているわけです。
これでは住民側が説明不足と感じても無理もないことでしょう。
その後も住民と行政の対立は続き、6月26日の「TVタックル」放映や7月7日に発表された境治氏のインタビューにて田中区長自身がこの問題に対する自身の考えを語っていますが、住民との直接の対話はなく、7月25日の第3回住民説明会では、住民側が行政側に詰め寄る一色即発の状態にまでなったようです。
時系列全体を見渡すと、行政側がいかに急いで計画を進めようとしているかが分かります。その急ピッチな姿勢こそが住民の怒りを買い、問題をより悪化させてしまっているのですがどうして行政側はここまでして保育園の建設を、すなわち待機児童ゼロを目指すのでしょうか。
この問題の一番のポイントはここにあるような気がします。
次回に続きます。